育成→V貢献→難病発覚→戦力外 元燕右腕の激動すぎる6年間…引退から7年も残る麻痺
元ヤクルト・徳山武陽さん【写真:町田利衣】元ヤクルト徳山武陽さんは2017年限りで引退「充実していて濃密な6年間」
元ヤクルト投手の徳山武陽さんは、2017年限りで戦力外通告を受け現役を引退した。立命大を経て育成で始まったプロ生活。支配下を掴んでリーグ優勝に貢献も、国指定難病の「黄色靱帯骨化症」を発症するなど激動だった6年間のプロ生活を振り返った。
弾むような声で、徳山さんは言う。「最高でした。育成でしたけどプロの世界に入れたことがうれしくて、認めてもらって支配下になれて、優勝を経験できた。最高の結果につながったし、充実していて濃密な6年間でした」。とはいえその道のりは、決して平坦ではなかった。
2011年育成ドラフト1位で入団した直後の2軍春季キャンプで、同僚のブルペン投球を見て「レベルの高さに度肝を抜かれました」。宿泊施設は、育成選手と裏方さん数人だけ別。背番号の桁数以上に、支配下選手との差は大きかった。「育成はプロ野球選手じゃない」とも教育された。立命館大時代の同期は大手企業に就職し、3、4倍の給料をもらっている人もいた。それでも「育成でも行きたいと決めたのは自分。ユニホームを着られるだけでラッキー」と前を向き続けた。
2013年5月13日、念願の支配下契約を勝ち取ると、デビュー戦は同15日の西武戦だった。緊張感に襲われる中で先発マウンドに上がり、先頭の浅村栄斗内野手(現楽天)にいきなり本塁打を浴びた。デビュー戦で初回先頭打者にアーチを許したのは球団史上初。「『チーン』って感じですよ。マウンドに立っているけど足の間隔がないくらい緊張していて、もうその時点で勝負はついていた。史上初って、たまにネタにしていますけど」と今では笑って振り返ることができる。
引退後は球団広報を経てソニーマーケティング株式会社で法人営業
(町田利衣 / Rie Machida)
