開幕5日でトレード…栗山監督が頭下げ“謝罪”「逆に申し訳ない」 不完全燃焼の人的補償
藤岡好明は2013年夏に入院→同年オフに人的補償で日本ハムへ移籍した
ソフトバンクなどNPB3球団で15年間、今季はくふうハヤテでプレーした藤岡好明投手は2013年オフにソフトバンクから人的補償で日本ハムに移籍。新天地では思うような結果を残せず、3年目の2016年には開幕2戦目での登板後、DeNAへ金銭トレードとなった。栗山英樹監督からは「生かすことができなかった」と“謝罪”を受けたという。
鶴岡慎也の人的補償で日本ハムへ移籍した当時は、肝機能障害による離脱から復帰へ向けたリハビリに励んでいた時期だった。5月に1軍初登板を果たすも、シーズンは9試合の登板に終わった。体調のこともあり結果を残せなかったが、栗山監督からは「焦らず自分らしくやってもらったらいい」との言葉をもらい、「なんとか期待に応えたいと思っていました」と振り返った。
しかし、翌2015年もわずか6試合の登板と結果を残せなかった。ソフトバンクでは1年目に62試合に登板するなど、在籍8年間のうち6シーズンで30登板を果たした右腕が、移籍後2年は計15登板と不本意な成績を残していた。病気から体調面は完全に復調していたが、メンタル面の変化が影響を及ぼしていたのでは、と今になって感じているという。
「当時は本当にきつかったです。(2013年夏に)入院しているとき、このままどうなってしまうのだろうという恐怖心もあり、自分の最期について本気で考えました。それまでは野球がすべてだと思っていたのですが、野球以外の何気ない日常や友達との楽しい時間をもっと大切にしておけばよかった、という考え方が生まれた。それからですね。人に興味を持ちだしたというか、同僚と仲良くして食事にいくとか、違う楽しみを作ってしまっていました」。揺れ動いた当時の胸中を明かした。
「決してプレーをおろそかにしていたわけではないですし、一生懸命取り組んでいるつもりでした。でも、ホークスのときは先輩に誘われての食事はたまにあったけど、結果を出すためだけにどんなことでもするという意識だった。ファイターズのときはそれが薄かったと思います。“野球人・藤岡”ではなく“人・藤岡”になっていた。それは人生全体で考えたらある意味で視野は広がったとは思いますが、野球人としてはよくなかったと思います」
「結果を出せなかったのは僕の実力なのに…」
日本ハムで2年連続で結果を残せず、年齢も30歳ということもあり「戦力外になるのではという危機感はありました」と不安はよぎったが、無事に契約を更改。迎えた3年目の2016年は開幕2戦目となった3月26日のロッテ戦でシーズン初登板を果たし、リベンジへのスタートを切った。
その矢先だった。試合前の練習中にチーム幹部から呼び出された。「DeNAへのトレードが決まったから」。まったく予期せぬ出来事だった。部屋を出るとその足で栗山監督のもとへ向かった。挨拶をするためだった。トレードが発表されたのは3月30日。開幕から5日後のことだった。
「俺がお前を生かすことができなかった。申し訳ない」。指揮官からまさかの“謝罪”を受けた。「結果を出せなかったのは僕の実力なのに、栗山監督に頭を下げさせてしまい、逆にこちらが申し訳ない気持ちでした。僕はいろいろなチームをみたい、という考えだったのでショックとかはなかったのですが、活躍してから(チームを)動きたいというのが理想だったので、それができなかったですね」
人的補償で加入した日本ハムには2シーズンと1試合の在籍で計16試合の登板に終わった。不完全燃焼のまま、戦いの場をセ・リーグへと移した。
(湯浅大 / Dai Yuasa)