ロッテから指名も「どのみちすぐ辞める」 昇給意欲ゼロ…契約金で満足したプロ野球
西村徳文氏が振り返るドラフト…3球団重複の末にロッテから5位指名
通算1298安打&363盗塁を誇る西村徳文氏は、1981年ドラフト5位で鹿児島鉄道局からロッテに入団した。社会人3年目からスカウトが視察に訪れるようになり、4年目で掴んだ吉報。しかしプロ野球への扉を開いても「うれしさ半分」というのが本音だった。
ロッテ、ヤクルト、南海の3球団重複の末、ロッテに指名された。「テレビ中継は巨人戦しかない時代。「セ・リーグはチームも選手も知っていたから、希望順位をつけるならヤクルト、ロッテ、南海でした。ロッテは2月の春季キャンプを鹿児島でやっていて見に行ったこともあったので愛着が沸きますよね」。ドラフト会議の生中継などはない。抽選結果を聞いたのは仕事終わりのことだった。
鹿児島鉄道局に入ったのも就職のためで、野球は“ついで”だった。定年まで働いて退職金をもらうのが目標だっただけに、ドラフトで指名されても胸中は複雑だった。
「周りもうわーって盛り上がってくれるんですが、『通用しないから、行ってもどのみちすぐ辞めないといけないのにな』と思っていました。半分はうれしさと、半分はまだ野球をやらないといけないのか……という気持ちです」
月給倍以上で決断も「契約金もあるから田舎に帰って何でもできる」
プロ入りを決めたのは“お金”だ。鹿児島鉄道局の月給は「10万円ちょっと」だったが、「プロ入り時の年俸は320万円。月20数万円で倍以上になりますから、いいところに入れるなと。どっちみち野球は無理だけど、契約金も貰えるから辞めて田舎に帰って何でもできるだろうという考えだったんです」と入団を決めた。
契約金2400万円は全て親に渡した。比べれば、目標としていた国鉄を定年まで働いたらもらえるであろう退職金と同じくらいの金額だった。「毎月20万円以上あれば十分。給料を上げるために頑張ろうなんていう気持ちはなかったです」。どこまでも後ろ向きのまま、西村氏はプロ野球選手になった。
1月の合同自主トレ初日には「こんなん無理だ。とんでもないところに来た」とプロのレベルに圧倒された。体つきもパワーも違う。今まで負けたことのなかった足でも、自身より速い選手がたくさんいた。しかし焦りはなかった。「これなら2、3年で辞められるな、ラッキー」。まだまだ辞めることばかりを考えていた。
(町田利衣 / Rie Machida)