低迷の中で…「複雑だった」監督就任 オリ暗黒時代に感じていた選手の“緩さ”
元ロッテ監督の西村徳文氏は2016年からオリックスのヘッドコーチに
3年間務めたロッテの監督を2012年限りで退いた西村徳文氏は、2016年からオリックスでヘッドコーチに就任した。選手時代からロッテ一筋31年だったが新天地に移り、2019年からは監督も務めた。当時は1996年を最後に優勝から遠ざかっていた低迷期。現状にもどかしさを感じながらも、自身の力不足を痛感していた。
2016年、就任した福良淳一監督の“右腕”としての誘いだった。ロッテへの複雑な気持ちを抱きつつ「声をかけていただいたことはうれしかったですし、逆に新鮮な気持ちで行きたいと思いました」と新たな挑戦をすることを決めた。
「それまでオリックスの選手は解説で行ったときやテレビで見ているだけでしたが、いい選手がたくさんいたので個々がもう少し力を出せれば勝てるチームだなと思いました」と言うものの、復権への道のりは険しかった。
2016年は最下位、2017年と2018年はいずれも4位。2018年のシーズン終盤には福良監督から辞任の意向を告げられた。「(福良監督に)呼ばれて(オリックスに)行ったわけですから当然、自分も辞めるつもりで球団に伝えました」。しかし同時に球団からは監督就任を要請された。
2019年に監督就任も複雑「どれが良かったのかは今でもわからない」
「今までで一番、気持ちの中では複雑でした。どうしてもやってくれということでしたので引き受けたんですけど、野球人生の中で一番悩んだところじゃないですかね。どれが良かったのかは今でもわからない。自分が辞めてから良かっただけに、思うところはたくさんあるんですけど……」
悩んだ末に監督に就任した西村氏だが、チームをいい方向に導くことはできなかった。勝てなかった時代のオリックスに「一番は考え方が甘かったのかなという気はしますね。そこを自分自身で変えられなかったのは悔しさがあります」と詫びる。具体的には「もう少し上の選手が下の選手に、昔みたいに厳しすぎるほどというわけではないが、ダメなところはダメとハッキリ言ってあげないといけないのかなと。現代的な厳しさの中でやっていってもらいたかった。そういう選手がいてもいいんじゃないかなという気持ちはありましたね」ということだ。
ロッテではレギュラーの最年長に井口資仁がいて、福浦和也、サブロー、里崎智也がときに厳しくチームをまとめていた。「後輩選手にも厳しくじゃないけどしっかり指導して、言いたいことがあれば言ってくれた。4人の存在は大きかったですね」。一方でオリックスには「そういう上に立つ選手たちがおとなしすぎたのかなと思います。コーチが選手にいろいろ言っていくのも大事なんですけど、選手間同士でやれるチームは強くなっていけるという気はします。特にこれからの時代はそうかな」と両者の“違い”を語る。監督として改革できなかったことに、悔しさが募った。
(町田利衣 / Rie Machida)