戦力外→海外移籍で再発見「やっぱり日本が一番いい」 気づかなかった“和の心”

元近鉄の品田氏、想像とのギャップがあったイタリアの食文化
元近鉄の品田操士氏は2002年、外国人枠が限られているイタリアでシーズン最後までプレーした。イタリアは人気の観光地が多く、食事も日本人好みと言われるが、「日本人のオレたちがイメージするイタリアンじゃないんだよ」。想像とギャップがあったという。
「例えばボローニャでは、ボロネーゼはあるんだけど、ボンゴレビアンコを食べたいと思っても、ない。ベニスとか海の近くじゃないとアサリは獲れないよって言われちゃう。麺の種類はめちゃくちゃたくさんあるのにね。ピザもイタリアでは日本のように具沢山じゃないんだよね。他の選手と一緒に行くから、安いピザだったせいかもしれないけど」
本場のイタリアンを堪能できたわけではなかったが、お米は中華料理屋で食べることができた。「現地の人はチネーゼって言っていたね。でもアメリカに比べると、ちょっと値段が高かったかな」とのこと。「マクドナルドはあまりおいしくなかった。バンズが違うんじゃないかな」と食文化の違いは鮮明に覚えている。
野球のシーズンは3月にキャンプ、4月~10月に公式戦だったが、8月は全く試合がなかった。「1か月丸々、バカンスなんだよね」。試合だけではなく、店も開いていなかった。「イタリア人、働けよ、って思っていた」。この期間に旅行に行く選手もおり、品田氏もベニスに行くなどしたが、基本的にはトレーニングを行なっていたという。
ベニスでゲームに参加→私服警官に捕まり「賭博をしていただろう」
そのベニスで貴重な体験をした。道中に路上でゲームをしている人たちに遭遇。チームメートが、サイコロを使ったギャンブルで50ユーロ(当時6000円)をかけ、ゲームに参加。すると、負けた瞬間に私服警官に囲まれた。「オレはやってなかったけど、一緒にいただろう、お前ら賭博をしていただろう、って捕まっちゃった」。
ベニスは水上都市で、パトカーならぬパトボートで移送された。パスポートも所持しておらず「やばいなぁって思っていた」。一緒にいた選手は米国人で、英語でやりとりをしていたが警官はあまり英語が得意ではなかった。「よくよく話を聞いたら、持っていかれたお金を返してくれるってことだった」。2時間ほど拘束されたが、手錠をかけられたわけではなく、最後は返金されたという。
わずか2年の間に、2か国で数々の貴重な経験をした。当時、日本に独立リーグはなく、NPBから戦力外通告を受け、社会人野球でプレーをするチャンスも、今よりは格段に少なかった。海外に活路を求めるしかなかったのだ。
「最近は海外に行く選手は減ったよね。今は日本国内の環境が良くなったから、あえて過酷な環境に行かなくてもプレーできる」。実際に品田氏は現役引退後は海外に行っていないという。「やっぱり日本が一番いいよね」。壮絶な経験をしたからこそ、日本のありがたみを感じることができた。
(伊村弘真 / Hiromasa Imura)
