中日左腕が呼び出された監督室「何事かと」 2年目で体感した“別世界“「思ってもない」

中日時代の野口茂樹氏【写真提供:産経新聞社】
中日時代の野口茂樹氏【写真提供:産経新聞社】

元中日・野口茂樹氏、2年目に米国留学…ロッキーズ傘下1A所属

 米国で飛躍した。かつてのセ・リーグMVP左腕の野口茂樹氏(元中日、巨人)はプロ2年目(1994年)にコロラド・ロッキーズ傘下1Aに留学した。先発ローテーション入りして、1Aカリフォルニアリーグのオールスターゲームにも出場するなど活躍。当時、野球評論家で視察に訪れた中日OB・星野仙一氏の前でも完封勝利を挙げて「このままやっておけばいい」とのアドバイスももらったという。きっかけをつかんだ。

 プロ1年目は2軍での登板だけだった野口氏だが、それなりの手応えを得て「2年目は何とか1軍に行きたいなというのがありましたね」。キャンプもクリアし「ここからオープン戦、チャンスをつかみたいなぁなんて思っていたら、監督室に呼ばれたんです」。中日・高木守道監督から告げられたのが米国留学の話だった。「何事かと思って行ったら、そう言われて、『えっ』て思いました。思ってもいないことだったんでね」。

 大石友好2軍バッテリーコーチ、1年先輩の右腕・佐々木健一投手と3人で渡米し、1Aのセントラルバレー・ロッキーズに所属することになった。「向こうはまだキャンプ。(日本で)キャンプが終わって、またキャンプ。また一からかぁって思いましたけどね」。米国生活にはうまく順応したという。「移動とか大変かと思いましたけど、まぁ言葉くらいでしたね。食事もハンバーガーとかピザとかホットドックとか全然問題なかったです」。

 野球に関しても「全然、楽でした」と話す。「先発ピッチャーなんて試合開始の2時間前に来るわけですよ。午後6時から試合だったら、4時くらいに球場に来てアップしたり。まぁ、そういうのには慣れなかったですけどね。で、投げ終わったら、そのままシャワーを浴びて、みたいな感じだった」。日本とは“別世界”ながらも、うまく入り込むことはできたようだ。

 背番号は9。「余っていた合うサイズのユニホームがそれしかなかった。みんなが大きいサイズのものを取っていくのでね。9番ってピッチャーがつける番号じゃないけどなって思ったけど、仕方ないので、じゃあ、これでってことで決まりました」。結果も出した。先発ローテーション入りを果たし、白星を重ねた。「オールスターも出ました。2番手で投げて勝ち投手になりました」。一気に大きく成長した。

中日で活躍した野口茂樹氏【写真:山口真司】
中日で活躍した野口茂樹氏【写真:山口真司】

星野氏との食事会の日に先発、「ホッとした」完封

「向こうは不思議な話で、スライダーが全く曲がらなかった。ボールが滑るんでね。だから真っすぐとスプリット、フォーク系ですね。あっちのボールだと無茶苦茶、落ちたんですよ。三振がポンポン取れました。球も速くなりましたね」。不安材料の左肘も問題なし。「気候的に乾燥しているんで、それもよかったみたいです。1回、肩が痛くなったんですけど、アスピリンをのんだら一発で治った。向こうの薬はすごいなって感動しましたよ」。すべてがいい流れだった。

 この留学中に中日前監督で当時、評論家だった星野氏の前で完封勝利を挙げたのも印象に残っているそうだ。「星野さんが見に来るというのは大石さんから聞いていた。試合が終わったら食事するという話でね。しかも僕が先発の日。これは打たれるわけにはいかないって思いましたよ。で、3-0で完封、とりあえず勝ってよかったです。打たれてからの食事会は絶対無理だと思っていたので、どちらかというとホッとしました。まぁ、運もあったんじゃないですかねぇ」。

 星野氏との会食も緊張しながらも乗り切った。「珍プレー好プレーで見てきた(闘将の)怖いイメージがあるまま食事しましたけど、全然、普通でした。ローストビーフをおいしく食べさせていただきました。星野さんからは『このままやっていけばいい。(日本に)戻っても、投球フォームはそのままでいい』というアドバイスももらいました」。2年後に星野氏は中日監督に復帰。野口氏にとって恩師となるが、その関係はこの時から始まっていたわけだ。

 この米国留学中、野口氏は自身のニックネームを「モス野口」と言っていたという。「マック鈴木に対抗してね。沖縄キャンプ宿舎の近くにモスバーガーがあって、よくぱしりで行かされていたんで、そのモスバーガーのモス。でも向こうにモスはなかったんでね。まぁギャグでつけた感じでしたけど、結局、モスと呼ばれることはなかったです。逆に日本に帰ってから僕のことを“モス”と呼ぶ先輩はいましたけどね。それも笑い話ですけどね」。

 野口氏はシーズン途中の8月に帰国。「向こうでは8勝くらいしたと思う。防御率は2点台。奪三振数はリーグトップの段階で帰りました。最後、どうなったかは知らないですけどね」。8月25日の広島戦(ナゴヤ球場)では1軍初登板も果たす。日本での初白星こそ、その年には挙げられなかったものの、ロッキーズから欲しがられるなど、左腕は着実に進化していった。貴重な米国経験だったのは間違いない。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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