“浦和実と浦和学院”が繰り広げてきた激戦 辻川監督が振り返る「大きな壁」

春夏通じて初の甲子園出場…浦和実に立ちはだかってきた壁
第97回選抜高校野球大会(甲子園)が18日に開幕する。埼玉・浦和実を春夏通じて初の甲子園に導いた辻川正彦監督は、37年目にして悲願成就となったが、ことあるごとに立ちはだかってきたのが宿敵の浦和学院だった。「50回くらい負けたんじゃないかな」と苦笑する“敗戦記”とは――。
辻川監督が浦和実の指導を始めた1988年は、埼玉の勢力図が変わり始めた頃だ。1985年春は秀明、夏は立教(現・立教新座)が私学として初の甲子園出場を果たした。1986年夏は開校9年目の浦和学院が初出場でベスト4入りし、翌年は史上5校目の連覇を遂げて公立王国の埼玉にくさびを打ち込んだのだ。
1975年創部の浦和実は、辻川監督が着任した年、12人しかいない弱小チームだった。それでも人材の獲得に奔走し、就任3年目の1990年夏に初の5回戦に進出。だが8強への道を断ち切ったのが浦和学院で、この初顔合わせをきっかけに浦和実の行く手を阻む因縁の相手となる。
初タイトルが期待された2000年秋の決勝は、浦和学院に延長の末2-5で惜敗。出場枠が2校あった2008年の第90回記念大会は、南埼玉大会準決勝に進んだものの、ここでも浦和学院に2-4で敗れて甲子園に手が届かなかった。
4点リードで最終回も…指揮官の脳裏に浮かんだ“恐ろしさ”
第92回大会は2回戦で4-13の7回コールド負け。新型コロナウイルス感染拡大で全国選手権が中止になった2020年は、決勝で当たった南部地区大会で1点差の敗戦を喫し、2年後の夏も準々決勝で1-6。またしても進路を塞がれた。
「浦学って、うちにとってはホントに大きな壁なんですよ。私と(部長の)田畑(富弘)は何十回も負けて、その怖さとすごさを痛いほど感じてきた。初回に4点先取したら怒りに触れて13点取られたりとか、9回まで3-0で勝っていても追い付かれてサヨナラ負けとか……」
2024年7月21日に立ち上がった現チームは、石戸颯汰と駒木根琉空の両左腕エースに加え、二塁・深谷知希、中堅・斉藤颯樹、右翼・山根大智の5人は前チームからのレギュラー。秋季県大会前に練習試合を30回ほどこなし、中央学院(千葉)や創価、国士舘、東海大菅生(以上東京)といった強豪を倒し、「ベスト8まではいけると思った」と辻川監督は手応えをつかんでいた。
県大会3回戦は強敵の聖望学園に3-1で逆転勝ち。8強に進めば関東大会出場もあると見込んでいたが、“天敵”が準々決勝で待ち受けていた。「また浦学かぁ」と嘆息し、「9回までやれるかな? 7回かな、5回かな」と及び腰になった。
ここ一番の勝負になると、浦和学院は独特の趣や風格を醸し出すが、今回もウオーミングアップの最中から威圧感は半端なかった。辻川監督が「ベンチの奥からも大きな声が聞こえてきた」と言えば、一塁手の三島陽之介は「相手ベンチが一塁側だったので、守備に就くとベンチとスタンドの圧力を間近に感じた」と振り返る。
宿敵を超えて見えた先…優勝を見据える選抜
そんな雰囲気の中、先発の石戸が初回を3人で仕留めた。「おっ、今日は勝負になるぞってピーンと感じました。長年の感覚ってやつですね」。老練指揮官の勘働きである。予感は的中し、2回2死から3連打で2点を先制すると、4回には中軸の3連打で1点を追加。さらに2死一、二塁から9番・石戸の適時打で4点目をあげた。
しかし浦和学院の恐ろしさを知り尽くす辻川監督は、「回を追うごとに相手の焦りが伝わってきたが、いつひっくり返されるのか、それしか頭になかった。何しろ今年の浦和学院は、部の歴史の中でも3傑に入る強さ。甲子園に出ていたら間違いなく優勝候補ですよ」と述懐する。
4-0で9回を迎えた。石戸はチェンジアップを決め球に2安打の力投を続ける。だが失策と死球で無死一、二塁となり、迎えた2番打者に3ボール。頭をよぎるのは悪いことばかり。「これで無死満塁になったら西田(瞬)の一発で同点、藤井(健翔)のソロで逆転されるぞ、なんて考えていたら3連続ストライクで三振に仕留めてくれた。これで勝ったと思いました」と、9回を高い声のトーンで早口に、詳細に解説したのはうれしさの表れだ。
3度目の決勝で初優勝を飾り、3度目の関東大会で初の4強。辻川監督は「自分の中で浦学より強いチームは存在しない。勝った瞬間、“キタ~っ”て感じでした。今回だけは絶対に甲子園を逃さない。逃したら本当に終わりだと思った」と、最強の敵を倒して甲子園につなげた紆余曲折の道のりに感慨深そうだった。
◯著者プロフィール
河野正(かわの・ただし)1960年生まれ、埼玉県出身。埼玉新聞運動部でサッカーや野球をはじめ、多くの競技を取材。運動部長、編集委員を務め、2007年からフリーランスとなり、埼玉県内を中心に活動。新聞社時代は高校野球に長く関わり、『埼玉県高校野球史』編集にも携わった。著書に『浦和レッズ・赤き勇者たちの物語』『浦和レッズ・赤き激闘の記憶』(以上河出書房新社)『山田暢久 火の玉ボーイ』(ベースボール・マガジン社)『浦和レッズ 不滅の名語録』(朝日新聞出版)など。
(河野正 / Tadashi Kawano)
