甲子園と無縁だった36年「また駄目か」 浦和実・辻川監督が耐えて掴んだ“とっておきの運”

初の甲子園出場を決め、歓喜に湧く浦和実ナイン【写真提供:産経新聞社】
初の甲子園出場を決め、歓喜に湧く浦和実ナイン【写真提供:産経新聞社】

浦和実・辻川監督が就任早々に突きつけられた“難題”

 埼玉の私学として9校目となる浦和実が、18日開幕の第97回選抜高校野球大会(甲子園)に初挑戦する。大会5日目の第3試合で、出場3度目の滋賀学園(滋賀)と1回戦を戦う。浦和実の監督に就任し、37年目でつかんだ初の甲子園に辻川正彦監督は「校歌を1回は歌いたい」と初戦を待ちわびる。

 才能豊かな小学生の頃、プロ野球選手になれると信じた。中学でも強打者として鳴らしたが、城西大城西高(東京)進学後はすっかり自信をなくしてしまった。

「同級生の前橋工業・渡辺久信や木更津中央・与田剛、創価・小野和義というプロ入りした投手と対戦したら、球が全然見えなかったんですよ。でもプロに行く強打者はちゃんと打っていた。プロは無理だと悟り体育教師を目指しました」

 中学時代の校長に仲介の労を取ってもらい、保健体育科教諭として1988年4月に着任。採用条件の1つが野球部の監督で、さらに校長との面接では難しい宿題を突きつけられる。「3年間で結果が出なければ公立高校を受け直して下さい」。雇用契約満了ということだ。

 野球の指導者よりも体育の先生になることを優先していたが、「3年やって駄目ならクビでしょ。だったら勝ってやるぞって思うじゃないですか。何が何でも強くすることしか頭になかった」と反骨心が旺盛だった青年時代を回想する。

過去4度、手が届きそうだった甲子園

 辻川監督が赴任した年の3月に小原沢重頼が卒業。1991年のドラフト会議で巨人に2位指名された投手で、2020年からは母校の投手コーチを務める。こういう逸材が在籍したこともあるが、中学のスター選手の多くは見向きもしなかった。「声を掛けても、ことごとくライバル校にもっていかれた」と頭をかいた。

“試練の3年目”が到来。夏の第72回大会は2回戦から登場し、3連勝で初のベスト16入りを果たした。校長からの言葉はなかったが、続投できそうな雰囲気を感じたそうだ。5年目となる1992年の夏は、高村泰晴が1回戦で無安打無得点試合を達成。勢いに乗って初の8強に進んだ。さらに新チームは秋季県大会で準優勝し、初の関東大会切符を獲得するなど短期間のうちに結果を出した。

 これまでに4度、甲子園が見えかかったという。最初が初陣の関東大会で、1回戦では初優勝した常総学院(茨城)と5-6の接戦を演じる。その次が2000年秋の関東大会。1回戦で千葉1位の八千代松陰に5-1で快勝し、8強に進んで甲子園の可能性を残した。「茨城勢が優勝、準優勝、3位で同じ県から3校はないと言われたが、3校とも選ばれて補欠でした」と残念がる。この時のエースが2008年に西武へ入団した平野将光だった。

 90回記念大会の2008年夏は、埼玉から2校出場できた。これが3度目。南埼玉大会で準決勝に進んだが、「戦力は互角に近かった」と言う浦和学院に惜敗。4度目が2年生の速球派右腕・豆田泰志を擁した2019年だ。春季県大会で準優勝し、関東大会が8強。優勝候補として臨んだ夏は、豆田が4回戦で浦和学院を2安打完封したが、5回戦で市立川越に足をすくわれた。

監督就任37年目に掴んだ、とっておきの“運”

「37年の奉職中に監督、部長、総監督として野球部に携わり、西武に入団した豆田のときなど、4回あったチャンスをものにできなかった。(去年の)夏も4回戦で早々と春日部共栄にコールド負け。また駄目か、甲子園とは無縁のまま65歳の定年を迎えるのかな、って諦めかけていたんですよ」

 折れそうな心を今のチームが救った。昨秋の県大会で浦和学院や聖望学園、山村学園、西武台といった難敵を連破し、関東大会でも4強を射止めて悲願を達成した。

 あまり強運ではなかったかと水を向けると辻川監督は「総合的に考えたら運はあるほうだと思う」と頷き、昨秋の関東大会を引き合いに出した。「どこも強いが、東海大相模と横浜、健大高崎、山梨学院とは準決勝までやりたくなかった。佐野日大も嫌だったけど全部なかった」と組み合わせの妙に驚いたという。

 準々決勝で当たったつくば秀英は、茨城大会決勝と関東大会1回戦を観戦。「映像ではなく、しっかり生で見られたのは大きい。運が良かった」とニンマリした。

 春夏通算5度、甲子園に出場し、2008年の選抜大会で準優勝した聖望学園の岡本幹成元監督から、こんなことを言われたそうだ。「運というのは誰にでも平等にあるから、早めに使っちゃう人って後がないもんだよ。辻にはこれまで運がなかったからなあ」。臥薪嘗胆。耐えて忍んで、37年目にとっておきの運を掴んだ。

◯著者プロフィール
河野正(かわの・ただし)1960年生まれ、埼玉県出身。埼玉新聞運動部でサッカーや野球をはじめ、多くの競技を取材。運動部長、編集委員を務め、2007年からフリーランスとなり、埼玉県内を中心に活動。新聞社時代は高校野球に長く関わり、『埼玉県高校野球史』編集にも携わった。著書に『浦和レッズ・赤き勇者たちの物語』『浦和レッズ・赤き激闘の記憶』(以上河出書房新社)『山田暢久 火の玉ボーイ』(ベースボール・マガジン社)『浦和レッズ 不滅の名語録』(朝日新聞出版)など。

(河野正 / Tadashi Kawano)

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