出場数激増も「本当に嫌だった」 打率1割台で…懇願したスタメン落ち「なんで俺なんか」

DeNA時代の梶谷隆幸氏(左)と中畑清元監督【写真提供:産経新聞社】
DeNA時代の梶谷隆幸氏(左)と中畑清元監督【写真提供:産経新聞社】

梶谷隆幸氏の運命を変えた中畑清氏の存在

 DeNAや巨人で活躍した梶谷隆幸氏にとって、プロ6年目の2012年での中畑清監督との出会いは大きな転機となった。前年までの5年間で計27試合しか出場していなかったが、同年は80試合に激増。「中畑さんと出会っていなかったら、僕はその頃にプロ生活も終わっていたと思う」と感謝を述べた。

 親会社の変更とともに球団名はDeNAへ変わり、中畑監督が就任した。梶谷氏は前年までの5年間で27試合43打数5安打の打率.116、1本塁打、2打点、1盗塁の選手だった。それが2012年のオープン戦で持ち味の走力を発揮し、「打率3割以上を残して、17試合くらいで10個以上走ったんです」。機動力を重視する中畑監督の目に留まった。

「1番・遊撃」として初の開幕スタメンを果たすと80試合に出場した。出場機会だけをみると大きな飛躍ともいえるだが、試合ではまったく結果を残せなかった。同年は打率.179、2本塁打、11打点、5盗塁。「中畑さんは、めっちゃ我慢して使ってくれたんですよ」と振り返った。

 実績のない若手が、試合に起用され続けながらも凡退を繰り返す状況は「今思えばきつかったですよね」。当時、同じポジションには渡辺直人、山崎憲晴、石川雄洋、藤田一也といった“先輩”がいただけに「何で俺なんかを使ってくれているんだっていう感覚でした。スタメン表を見るのが本当に嫌で『僕の名前はナシでお願します』とずっと願っていました」と明かした。

 後になって中畑監督から「打つだけじゃなくて、打って走れて守れて、というスタイルの選手が俺は好きだったから。お前にすごい魅力を感じて、いい未来が見えたんだよ」と言ってもらえたという。梶谷氏のポテンシャルに惚れ込み、育成を見据えた起用だった。

 チーム事情も梶谷氏の出場を後押しした。当時は最下位に終わるシーズンも多く「暗黒時代」とも揶揄された。「優勝を争うような位置にいたら、間違いなく僕の出番はないですから。本当に縁と運に恵まれたと思います。中畑さんと出会っていなかったら、僕はその頃にプロ生活も終わっていたと思います」。

 経験を積んだ梶谷氏は翌2013年に77試合の出場で打率.346、16本塁打、44打点と覚醒。一気に欠かせぬ戦力へと成長した。飛躍の土台となった中畑氏との出会い。「すごくありがたい話ではあるんですけど、それでも2012年は1番きつかったかもしれないですね」。柔和な笑みを浮かべた。

(湯浅大 / Dai Yuasa)

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