2桁勝利でも敗戦処理、間隔空く登板 阪神右腕が抱いた不満「何で投げさせてくれないのか」|球界群像 上田二朗#18
阪神時代の上田二郎氏【写真提供:産経新聞社】上田二郎氏は「次郎」「次朗」など、何度か登録名を変更
元阪神、南海のアンダースロー右腕・上田二朗氏(野球評論家)は登録名の“名前”を何度か変更したことでも知られている。12勝を挙げたプロ7年目の1976年までは本名の「上田二朗」だったが、1977年に「上田次郎」、1979年には「上田二朗」に戻し、1980年からは「上田次朗」とした。結果はともかく、その時その時に最善と判断してのこと。「この年の年回りだったら、これがいいってことだったのでね」などと“真相”も明かした。
プロ4年目の1973年に先発、リリーフとフル回転して287回1/3を投げて22勝をマークした上田氏だが、翌1974年は7勝13敗1セーブ、防御率4.02に終わった。打線との“巡り合わせ”もあまりよくなかった。「防御率は悪かったですけど、勝ち負けが逆になってもいいような内容もけっこうあったと思う。まぁ、勝ち負けというのはそういうものですから。(結果に関しては)そんなに私自身、こだわる問題ではなかったんですけどね」。
開幕2戦目の4月7日の大洋戦(岡山)に先発し、3失点完投で9回3-3の引き分け。2登板目の4月18日の巨人戦(後楽園)では8回2失点でシーズン初勝利を挙げたが、3登板目の4月24日の中日戦(甲子園)では3失点完投でシーズン初黒星を喫した。その後も好投が報われないケースが少なくなかった。これが、大活躍した前年の“反動”だったのか。「前の年の疲れはあったでしょうね」とも振り返った。
1976年に12勝も簡単ではなかった調整…湧いた疑問
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)
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