理由は「僕を見てくれない」 練習中断に衝撃「ちょっと待って」…阪神コーチが得た教訓

阪神などでプレーした上田二朗氏【写真:山口真司】
阪神などでプレーした上田二朗氏【写真:山口真司】

上田二朗氏は引退後、阪神コーチやフロントとして活躍

 NPB通算92勝右腕の上田二朗氏は、2012年1月1日付で阪神球団を退団した。1969年ドラフト1位で東海大から阪神入り。1979年オフに南海に移籍したが、1982年途中に復帰して、同年に引退した。その後は1、2軍の投手コーチや2軍育成コーチを務め、1995年からはフロント入りしてチームを支え続けた。現在は野球評論家として古巣を見つめる。入団時から知る阪神・藤川球児監督へ熱いエールを送るとともにコーチ陣、フロント陣には敢えて“注文”もつけた。

 上田氏は引退翌年の1983年に1軍投手コーチ補佐、1984年からは2軍投手コーチとして若手育成に励んだ。1989年には恩師の村山実監督の下で1軍投手コーチ、その後の中村勝広監督体制では2軍育成コーチ3年間務めた。1993年に再び1軍投手コーチとなり、1994年限りで退任しフロント入りしたが、コーチ時代においては「これは選手に教えられたんですけど、こういうことをしてはいけないということがありました」と反省点を口にした。

「ある時、甲子園の一塁側のブルペンで仲田マイク(幸司)と田村(浩一)がピッチングをしていたんです。私は前の日にマイクをずっと指導したので、その日は田村を指導しなきゃいかんと思って、ずーっと田村ばかり見ていたんです。そしたらマイクが5球くらいで投げるのをやめちゃったんですよ。あれっと思って『どうしたんや』と聞いたら『上田さんが僕を見てくれないので(投球練習を)やめます』って…」。上田氏はこれに「ハッとなった」という。

「最初は“ちょっと待ってくれよぉ”って思ったんですけど、今日は田村を見ようと判断したのは私だし、やっぱり選手というのはひと言でも声をかけてあげなきゃいけない。見てやらないといけない。みんながみんなそういう考えを持っているとは限らないけど、そういう考えの選手もいるんだなと勉強になりました。目配りをしたり、声がけをしたり、そういうこともコーチの役割。二度と同じようなことが起きないようにしなければいけないと思いましたね」

 上田氏はフロント入りしてからも2軍のコーチなどにもそのことを伝えてきたそうだ。「“こういうことがあったんだよ”ってね。『見といてやれよ』『一声でいいから、どうなんや、調子どうや、肩痛くないか、大丈夫か、とか、声をかけてやれよ』『声をかけてやるのと、やらないでは全然違うよ』って、私が管理や編成の頃によくそういう話をしましたよ」。プロ入り後は、ほとんどをタイガースとともに過ごしてきたのだから、その“阪神愛”はハンパではない。

忘れられない2003年の優勝&パレード「みんなで泣きました」

 一番の思い出に、星野仙一監督が阪神を率いて優勝した2003年をあげた。「私は(東海)大学の時は何度も優勝しましたけど、プロでは経験していなかった。1985年の(吉田義男監督体制での)優勝の時は2軍のコーチでしたしね。ユニホームは着ていなかったけど、星野仙さんの時には管理部長をやっていましたのでね。その翌々年(2005年)に岡田(彰布監督)も優勝しましたけど、その時はまた2軍におりましたし……」。

 2003年11月3日に大阪と神戸で行われた優勝パレードも忘れられないという。「私は先導車に乗っていたんですけど、雨の中、幾重にもなって、ファンの方々がかっぱを着て涙を流してくれて……。優勝した時だけでなく、パレードの時までこんなにファンの方は喜んでくれるんだと。やっぱり勝たなければいけないと思いました。あの感動というのはねぇ……。『あの姿を見て見ろ』と私は部下に言った覚えもあります。私たちも一緒にみんなで泣きました」。

 時を経て2025年のプロ野球が開幕した。野球評論家の立場の上田氏だが、藤川監督への期待は大きい。「彼の野球理論というのはすごいものがありますのでね。それがそのまま反映できればいいかなと思います。とにかく勝ってほしい。(前監督の)岡田に続いて、勝てるチームを作ってほしいです」と熱い口調で話す。その上でコーチ陣やフロント陣に向けて、こう続けた。

「まずコーチが組織の中でどんな動きをするか。監督の顔色ばかりを見るんじゃなくて、時には監督に文句を言えるような立場で選手をかばっていく。かばいすぎても駄目なんですけど、そういうのは非常に大事なポイントだと思う。そして、どんな時でも監督を孤立させないことですよ。いい時はいいんです。よいしょ、よいしょで。でも悪くなった時のことも考えないといけない。それはコーチと違って勝負のことまで考える必要がないフロント陣の仕事ですよ」

 すべては藤川阪神のことを思ってのことだし、評論家としても熱く接していく考えだ。「意見として言いますよ。何でもかんでも褒め称えるばかりではいけないし、ここはこうする方がベストとか、私もいろんな経験をさせてもらったなかで、その時々に必要な言葉を選びながら言ってあげないといけないかなと……」。

 上田氏は40年以上も阪神球団に所属し、退団後もタイガースのことを第一に考えて野球人生を続けている。「去年(2024年)77歳になったんですけど、この年でもまだ野球に携われる幸せ感というのは、なかなか誰もが味わえることではないと思っています」。1973年に22勝をマークしたレジェンド右腕。コーチ、フロントとしても常に阪神のために全力を注いだ。それは今も、これからも。「いいのかなと思うくらい幸せです」。笑顔で断言した。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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