大物助っ人が緊急退団 掴んだチャンスで大仕事…FA戦士が巨人で刻んだ最大の“足跡”

梶谷隆幸氏はFA移籍4年目の開幕戦で大活躍した
国内フリーエージェント(FA)となり巨人に加入した梶谷隆幸氏は2年目オフに手術の影響で育成契約へと移行した。翌2023年の開幕前に支配下に復帰すると同年は102試合に出場。2024年の開幕戦では守備でのスーパープレーでピンチから救い、打っても2ランなど伝説的な活躍で、阿部慎之助新監督に初勝利をプレゼントした。
2023年開幕前に支配下登録に復帰した梶谷氏は、同年は移籍後最多の102試合に出場した。「相手投手によってスタメンだったり、代打だったりの繰り返しでした。信頼を得るしかなかった」。打率.275を残したが、手術した左膝の状態は万全からはほど遠く、2盗塁に終わった。「2つが精一杯。1度走ると代償がでかいというか、毎日膝の機嫌をうかがいながらでした。このシーズンは本気で走れた記憶がありません」。怪我と向き合いながら過ごした。
膝の状態はいっこうに良くならないが、シーズン終了後には「さあ2024年にいくぞという意識でいました」。結局、2024年限りで現役引退を決意することになるが、この年の3月29日、阪神との開幕戦で梶谷氏は“伝説”を刻んだ。
チームは大型助っ人のルーグネット・オドーア外野手が開幕直前の3月26日に退団した。「自分の中ではチャンスと思いました。抜けると聞いて、“はい、どうぞ”って感じです。いたら開幕戦に出さなきゃいけない選手だったと思います。退団することになって、自分が使ってもらえる位置にいたのはよかったなと」。
“阿部・巨人”が迎えた阪神との開幕戦は「3番・右翼」で起用された。「その日も膝が痛すぎて、朝に溜まった水を抜きにいっていました。伝統の一戦とかは全く感じていませんでした。どの球団も一緒、やるのは野球じゃん、みたいな」。
戸郷はバンザイで大喜び、阿部監督は脱帽して“最敬礼”
見せ場は3回の守備で訪れた。両軍無得点の1死一、二塁、右中間深くへ飛んだ森下の打球をダイビングでのスーパーキャッチ。すぐさま中継へボールを返し、長打を確信して走り出していた一塁走者も戻りきれず封殺した。マウンドの戸郷はバンザイで喜び、ベンチの阿部監督も帽子をとって最敬礼で出迎えた。打っては1-0の5回にチーム1号となる貴重な2ラン。東京ドームを熱狂させ、新指揮官の初勝利に貢献した。
「僕のことを知っている人は、この時の話は絶対に出るんだろうなっていうワンシーンになったと思います。『開幕戦でスーパープレーした梶谷選手でしょ』って言われるプレーになったのかなという感覚ですね」
期待の助っ人が突然退団した穴を、FA加入4年目の36歳が十分すぎる活躍でカバーした。「チームの緊急事態に使ってもらったので、ありがたさを感じていました。自分を選んだことは間違っていなかったと思ってもらいたい気持ちが一番でしたね」。しかし、その直後に左膝の違和感から離脱。開幕戦での超人的プレーが、梶谷氏の巨人でのハイライトとなった。
(湯浅大 / Dai Yuasa)


