プロ入りか家業を継ぐか…選抜V右腕が迎えた岐路 起きた“計算外”の出来事「これが社会か」

広島入団記者会見時の今村猛氏【写真提供:産経新聞社】
広島入団記者会見時の今村猛氏【写真提供:産経新聞社】

今村猛氏が定めた2択…プロか野球を辞めて家業を継ぐか

 プロか、野球を辞めるか。2009年ドラフト会議で広島に1位指名された今村猛氏は長崎・清峰高からの次なる進路は、この2択と決めていたという。もともとは家業の「今村水産」を継ぐために修業に入るつもりで「高校で野球は終わり」との考えだった。それがエースとして2009年選抜大会で優勝するなど、プロから注目を集める存在に成長したことで、選択肢が増えた形だった。しかし、その舞台裏では一悶着起きかねない“事態”にもなっていた。

 今村氏は清峰高3年の2009年夏、7月22日の長崎大会準々決勝で、大瀬良大地投手を擁する長崎日大に1-3で敗れた。同年の選抜大会で優勝し、春夏連続甲子園制覇を目指したが実現できなかった。注目の進路はプロ入り濃厚と言われていた。敗戦翌日の7月23日には清峰・吉田洸二監督とも話し合い、プロ志望届を出す方向性も固めた。ただし、その段階でも決めていたのは「ドラフトで指名されなかったら、野球を辞める」だった。

 いりこをはじめ、海産物などを扱う家業の「今村水産」を将来、継ぐために高校卒業後は修業に入るのが今村氏の当初の進路予定だった。清峰入学後の監督との面談でも「実家(の仕事)があるので、野球は高校で辞めます」と伝えていた。根底にあったのは「自分のことで親に負担をかけたくない」。家業を継ぐことが一番の親孝行と考えていた。それが少し変化したのは清峰で成長し、プロスカウトから注目されるようになってからだ。

「プロに行くのも親孝行になるのかなというのがありました。絶対行きたいとかではなくて、入れればいいかなくらいでしたけどね」。最初にそんな気持ちが芽生えたのは、高校2年だった2008年。夏の長崎大会前に熊本・鎮西高と練習試合を行い、1学年上で“秋山幸二2世”と呼ばれた立岡宗一郎外野手(現巨人3軍外野守備兼走塁コーチ)と対戦した時という。「スカウトの方がいる中で、たまたま立岡さんを抑えたんです。それで注目を浴びたと聞いて……」。

 別世界にしか思えなかったプロまでの“距離”が、この時点ではほんのわずか縮まっただけだった。しかし、2回戦敗退の2年夏の甲子園を経て3年の選抜大会では優勝。今村氏は高校球界屈指の右腕へと進化し、プロへの現実味が増した。進路に関してはずっと「高校で野球を辞める」の一択だったが、そんな状況になって「ドラフトにかかればプロ」に変わっていった

行く気なかった社会人チームに内定「怖さを知りました」

「どの球団に指名されてもいくつもりでした。ソフトバンクは何か親にあった時にすぐに行ける距離というのがありましたけど、それも行ければいいなくらいでしたね。だけど、どこの球団のスカウトの方が来ているとかは全く知りませんでしたし、指名が確定していたとも聞いていなかったので、行けるのなら行こうかなくらいでもありました」。ただし、そんな中、ひとつだけ計算外のことが起きていた。

「大学、社会人には全く行く気がなかったんですが、社会人は一応受けてくれ、と言われたんです」。しかたなく、ある社会人野球チームの面接を受けたという。「本当にふざけた話なんですけど、面接の練習も、もちろんしていないし、そのための勉強もしていません。面談の時、周りが積極的に手を挙げていても、僕は手を挙げませんでした。行きたくないのが本音ですからね」。プロ以外なら家業を手伝うと決めているのだから、当然、不合格を狙ってのことだった。

 ところが、結果は合格。最初から決まっていたのかもしれないが「正直、あの時は、これが社会かって思っちゃいました。ちょっと怖さを知りました」。思ってもいなかった社会人野球チームからの内定。「ドラフト3位までに指名されたらプロということにはなっていましたけどね。もし4位より下だったら……」。それこそ、プロから指名されなかったら、一悶着必至。「そうなれば何かあったでしょうね」と今村氏は話した。

 2009年10月29日、東京・港区のグランドプリンスホテル新高輪で行われたドラフト会議で今村氏は広島から単独入札による1位指名を受けた。「よかったです」。それは“社会人野球問題”がきれいに消えた瞬間でもあった。「学校で(吉田)監督と一緒にマスコミの皆さんの前で(指名を)待っていて、早くこれ、終わらないかなと思っていました。(カメラの)フラッシュも眩しいし……。1位は、それが早く終わったことでもよかったです」。

 広島1位に関しては「これで次はプロだなと思いました。ただそれだけですかね」と笑う。「あとからは監督に聞きましたよ。『一番熱心だったのはカープのスカウトだった』ってね」。契約金などはすべてではないが、家業に役立ててもらったという。こうして今村氏には広島との縁ができた。背番号は16。プロ生活が始まった。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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