突然の訃報に絶句「悲しいよ」 元助っ人の心に刻まれる、つば九郎担当者との“絆”

元燕・ミューレン氏がつば九郎担当者の訃報に絶句
30年前の思い出は、今も胸の中で温もりを与えてくれる。ロッキーズで打撃コーチを務めていたヘンスリー・ミューレン氏が、今年2月に死去したヤクルトのマスコット「つば九郎」の担当者にメッセージを送った。訃報を知ると「スミマセン……。ゴメンナサイ……」と絶句。数秒してから「とても悲しいね」と声を絞り出した。
オランダ領キュラソー出身のミューレン氏は、1989年にヤンキースでメジャーデビュー。1994年にロッテに移籍すると、1995、1996年はヤクルトでプレー。つば九郎とも“同僚”であり、リーグ優勝と日本一に貢献。NPB通算3シーズンで380試合に出場、打率.246、77本塁打、216打点の成績を残していた。
つば九郎は1994年4月のデビュー以来、本塁打を打った選手とのパフォーマンスや、フリップボードを使った少し毒舌なジョークで、ファンから愛された。ミューレン氏も“先駆け”の1人だ。
「つば九郎は(性格が)ベリーナイスだった。ヤクルトでプレーしていた時、本塁打を打ったらホームインした時に(つば九郎の人形が)貰えるよね。1つはスタンドに投げて、もう1つは子どものために(自宅に)持ち帰っていたよ。だから、家には(人形が)沢山あった。本塁打を打ったら、一緒にガッツポーズをしていたんだ。(訃報を)聞いて悲しいよ。ご冥福をお祈りいたします」
ミューレン氏は現役引退後、ジャイアンツの打撃コーチとして3度のワールドシリーズ制覇を経験。2013年の第3回WBCからはオランダ代表の監督も兼任し、国際大会ではお馴染みとなっていた。2020年にはメッツのベンチコーチを務めるも1年で退任。2022年は29年ぶりにヤンキースに在籍。2023年からロッキーズに移っていたが、17日(日本時間18日)に契約を打ち切られた。
ヤクルト時代の話題になると、笑顔が止まらなかった。「ニホンイチ! ベスト! ナンバーワン! 1995年、ニホンイチ!」。陽気に右手の人差し指を突き上げると、空を見上げた。大きな目をうっすらと滲んでいた。
(Full-Count編集部)