球団記録生んだ“仰天”のルーティン 高卒3年目で迎えた絶頂期「しんどくても続けた」

元広島・今村猛氏【写真提供:産経新聞社】
元広島・今村猛氏【写真提供:産経新聞社】

今村猛氏は高卒3年目に69登板…球団新の29試合連続無失点を記録した

 広島の名リリーバーだった今村猛氏は12年間のプロ生活の中で、3年目の2012年を「一番いい年だった」と振り返る。69登板で2勝2敗4セーブ26ホールド、防御率1.89。5月22日のソフトバンク戦(ヤフードーム)から8月11日の阪神戦(京セラドーム)まで、球団新の29試合連続無失点もマークした。当時、調子を崩さないために毎晩心掛けていたことがあったという。「しんどくても飲みに行っていました」と明かした。

 3年目の今村氏はリリーフとして開幕1軍入り。キャンプ、オープン戦と決して状態はよくなかったが、徐々に調子を上げた。4月終了時点で4.50だった防御率は5月終了時点で3.08、6月終了時点は2.34、7月終了時点では1.70と、安定感を増していった。「それまでの経験とか環境の慣れと1軍の慣れとか、全部たぶんうまくハマった年というか、やっといろいろ追いついたのかと思いました」。

 5月22日のソフトバンク戦から8月11日の阪神戦まで球団新の29試合連続無失点も成し遂げたが、それは悔しい試合を乗り越えてのことでもあった。“連続無失点4試合目”となった5月27日のロッテ戦(マツダ)では自身に失点はつかなかったが、リードを守れず。先発・大竹寛投手の白星を消してしまい、ベンチでタオルで顔を覆って涙した。「その頃、リリーフで負けている試合が多かったので、どうしても獲りたかったんですが、僕が点を取られてしまって……」。

 その試合は3点リードの9回に守護神のデニス・サファテ投手が登板したが2安打2四球の乱調で1点を失い、1/3で降板。今村氏がマウンドに上がったものの、牽制悪送球で1点差にされ、岡田幸文外野手の二塁適時内野安打で追いつかれた。試合は4-4で引き分け。「内野安打も明らかな打ち損じでバットを折ったんですけどね。そのもどかしさもあったと思う。悔しかったです」。こうした経験もバネにして、球団新記録を達成した。

記録継続中でも欠かさなかった“夜の街”「自分のリズムだと思っていた」

 3か月近く続いた無失点。「記録(当時の球団記録は23試合)が近づくと周りからも言われましたけど、あまり気にはしなかったです。いつも通りやるだけだったので……」。その上で「(記録を)気にしすぎて、飲みに行かなくならないようにと考えていました」と話す。「僕はその頃から変なことをしていて、毎晩飲みに行ったりしていたんです。ルーティン化はしていなかったけど、それでうまく切り替えられたし、自分のリズムだと思っていました」。

 無失点が続いているからといって、“節制”は考えなかった。「変に“置きに行く”のが怖かった。だから、ちゃんと行きました。しんどくても行っていました」という。「お酒はそんなに強くないと思います。ただ、その場が楽しかったんでね。何人かで行っていましたけど、選手とはあまり行っていません。知り合いの人が多かった。その方たちも絶対大変だったと思いますよ。ほぼほぼ試合が終わってから付き合ってもらっていましたから」。

 それも含めて、自分の“ぺース”を維持した。「ナイター後ならスタートが遅いので、帰りは(午前)2時、3時だったと思います。(29試合連続無失点の最中は)基本的にそれを続けていました」。8月14日のヤクルト戦(マツダ)で7回から登板し、回を跨いだ8回に1失点して記録は止まった。それでも飲みに行くのはやめなかったそうだ。「そこまでいくと、今度はシーズンを通して変えないとなったんでね。移動日とかナイターデーの時は行かなかったですけど……」。

 リリーフは毎日スタンバイするだけでもハードな仕事だ。だが、先発に戻りたい気持ちは「なかったと思います」とあっさり言う。「(先発で)週に1回投げるよりはいいかなと思っていました。先発だと“調整しているんだから”と言われるじゃないですか。で、失敗したらまた1週間駄目なので……。だったら毎日、同じサイクルの方が体的にもいいのかなと思ってね。中継ぎの方がよかったですね。楽しかったですよ」と振り返った。

 リーグ3位の26ホールドを挙げるなど実際、結果も残し「3年目は僕のプロ野球人生のなかでは一番いい年でしたね。感覚がよかったです。思ったように投げられましたから」と満足そうに話す。秋には野球日本代表「侍ジャパン」入り、2013年の第3回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)にもチーム最年少で出場した。だが、ここからまた試練の日がやってくる。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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