「とんでもなく痛かった」 覚悟の手術も再び襲った“悪夢”…予期せぬまさかの通告

西武・黒木優太【写真:小池義弘】
西武・黒木優太【写真:小池義弘】

西武・黒木優太、オリックス時代に右肘手術

 西武・黒木優太投手が新天地で奮闘している。オリックスからトレード移籍した日本ハムでは昨年、1軍で2試合の登板に終わり、オフに戦力外通告を受けた。11月に西武と育成契約を結び、今春はキャンプ、オープン戦と猛アピール。開幕前の3月25日に支配下契約の締結が発表された。開幕から救援陣の一角を担い、1軍ベンチ入り。プロ入り後の3球団目で懸命に腕を振り続ける30歳は、山あり谷ありのプロ野球人生を送ってきた。

 2016年ドラフトで2位指名を受けてオリックスに入団。「右も左も分からない状態でした」という2017年は「いけるところまで全力でいこう」と開幕からフル回転した。55試合に登板して6勝3敗2セーブ25ホールドを記録。新人ながら球宴にも出場したが、シーズン終盤に疲れから打ち込まれる試合があり、最終的に防御率が4.22と悪化した部分を「もう少し改善の余地があったのかなと思います」と振り返る。

 1年目の反省から疲労が溜まった際の対処法などを試した2年目の2018年は「それがうまくいかなかった」と39試合で1勝1敗17ホールド、防御率4.50。全ての数字が前年を下回る結果となり「結局、勉強のシーズンでした」という。そして3年目の2019年に大きな試練が訪れる。1月の自主トレ中に、右肘に違和感が生じていたのだ。

「1年目より2年目の方が成績も悪かったですし、これはやらなきゃ駄目だなって思っていたので、投げていったんですけど……」。キャンプ中に病院でMRI検査を受け、右肘内側靱帯の炎症と診断された。すでに中継ぎ陣で不可欠な存在となっていた右腕は、保存療法を選択し「もういくしかないなって思って。それで駄目だったら、手術だよなと割り切りを持ってやってました」。

 2軍で登板を重ねたが、思うような球が投げられず状態は一向に上がらない。患部は「とんでもなく痛かったですね」という。そして6月に限界が来た。「全然ボールがいってなくて代えられて、もう手術しかないねってなりました」。右肘内側側副靭帯再建術(トミー・ジョン手術)および右肘鏡視下骨棘切除術。当時の心境を「このままいったら絶対に元に戻らないと思っていたので、手術をやるなら早い方が絶対にいいと思っていた。前向きに考えていました」と回顧する。

「ちゃんとリハビリしていたらまた投げられるようになる。ネガティブになるようなことはなかったです」。オフに育成契約となった右腕は順調にリハビリを進め、手術から1年4か月後の2020年10月に2軍戦で実戦復帰。その後のフェニックスリーグでは154キロを計測するなど復調を示し、再び支配下選手となった。

Full-Countの取材に応じた西武・黒木優太【写真:小林靖】
Full-Countの取材に応じた西武・黒木優太【写真:小林靖】

手術から2年後、今度は右肩故障「悔しかった」

 完全復活を期した2021年、再び悪夢に襲われる。「めちゃめちゃ調子よくて出力も結構出ていたんです。そしたら今度は違うところに負担がかかって……」。右肩を痛めてしまったのだ。「練習、リハビリでやっている出力とはまた違った出力になるので、そういった意味で怪我してしまいましたね。あの時は悔しかったですね」。2軍で17試合に登板したが、3年連続で1軍登板がないままシーズンが終わった。

 ようやく復活の兆しを見せたのが2022年。フォークの握りを浅くしてスプリット気味に改良し、新たにカーブも習得したことで投球の幅が広がった。4年ぶりに1軍登板を果たすと、新型コロナ感染での離脱はあったものの27試合で2勝2敗1セーブ5ホールドで防御率2.36。「手応えはつかめました」。本来の輝きを取り戻しつつあった。

 だが2023年、志願して転向した先発で思うような成績が残せない。「中継ぎをやって抑えていたときとは何かが違ったんです。中継ぎは結構大胆に強いボールを投げなきゃいけないんですけど、先発ではコントロール重視でやってみたりとか、その辺の軸が定まらなかったなと思います」。12試合で1勝5敗、防御率6.58と不本意な1年を終えると、11月に予期せぬ通告が待っていた。

 日本ハム・吉田輝星投手との1対1の交換トレード。オリックスへの愛着はあったものの「環境を変えて、どんなシーズンになるのかなっていう楽しみもありました」。ただ、移籍を前向きに捉えて臨んだ日本ハムでのシーズンは、戸惑いもあって苦しい1年となった。

(尾辻剛 / Go Otsuji)

RECOMMEND

KEYWORD

CATEGORY