21歳でWBC出場も「楽しめなかった」 名投手から“お墨付きも”…直面した苦悩

今村猛氏は高卒3年目に69登板で防御率1.89…翌春の2013年WBCに出場した
元広島救援右腕の今村猛氏は、2013年の第3回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)に当時の侍ジャパン最年少の21歳で出場した。2012年のプロ3年目に広島のセットアッパーとして活躍。69登板で26ホールド、防御率1.89とブレークしたことで選出された。山本浩二監督、東尾修投手総合コーチの期待も高かったが、結果は2登板で2回3失点と精彩を欠いた。WBC使用球が合わなかったという。
今村氏にとって、プロ3年目は「プロ野球人生の中で一番いい年でした」と話すほどのシーズンだった。69登板で2勝2敗4セーブ26ホールド、防御率1.89。5月22日のソフトバンク戦(ヤフードーム)から8月11日の阪神戦(京セラドーム)まで、29試合連続無失点の球団新記録も達成した。そんな若き右腕に侍ジャパンの山本監督も注目。まずは11月に2試合組まれたキューバ代表との強化試合でメンバー入りした。
日本が2-0で勝った11月16日の第1戦(ヤフードーム)で今村氏は代表デビュー。1-0で迎えた5回2死一、二塁に4番手で登板し、アリエル・ペスタノ捕手を右邪飛に打ち取った。6回も続投し、3者凡退。7回も登板して3番のユリエスキ・グリエル内野手(現パドレス)を二直、4番のアルフレド・デスパイネ外野手を三振に抑えて交代した。打者6人に対して無安打2三振で勝利投手になった。
無我夢中だったのか「その試合はあまり覚えていないですね」と話したが、この好投が認められて12月4日発表の第3回WBC日本代表候補選手34人に入った。2013年2月の日本代表宮崎キャンプではシュートがさらに評価され、28人の最終メンバーにもチーム最年少で選出された。「ありがたいことに、東尾さんに『シュートがいいから使っていけ』と言われました」。現役時代にシュートを武器にしてNPB通算251勝を挙げた東尾コーチからのお墨付きだから、これ以上の言葉はなかった。
苦しんだWBC公式球「滑るんで、そこが一番だと思います」
今村氏は2011年8月、内角シュートが抜けて巨人・長野久義外野手へ頭部死球を与えた。以降は右打者に投げにくい球種となったが、左打者には有効に使った。2月24日のオーストラリアとの壮行試合(京セラドーム)では5番手で1回無失点。2月26日の阪神との強化試合(京セラドーム)も5番手で1回無失点と好結果を残したが、「左バッターへのシュートを多投しすぎて、フォームがちょっとずれていった感じがありました」とも振り返る。
本大会に向けての状態も「正直、あまりよくなかった」という。3月6日の第1ラウンドA組・キューバ戦(ヤフオクドーム)でWBC初登板。0-3の8回に5番手でマウンドに上がり1死から四球、左前打で一、三塁とし、デスパイネに3ランを浴びた。同12日に行われた第2ラウンド1組順位決定戦のオランダ戦(東京ドーム)では、8-1の6回に4番手で1回無失点も手応えは感じていなかったようだ。
侍ジャパンは、決勝ラウンドの舞台であるサンフランシスコに入る前にアリゾナで調整した。今村氏は3月14日のジャイアンツとの練習試合に6-2の9回に登板し、ソロを許して1失点。3月15日のカブスとの練習試合は5-5の9回に登板したが、中越え二塁打とサヨナラ2ランを打たれて敗戦投手になった。調子は下降線だった。
微妙にずれたフォームを修正できなかった。前年の2012年、69試合に登板した影響については「僕の中ではそれはなかった」と言う。不調だった要因として「ボールの影響かなと……。滑るんで、そこが一番だと思います」と分析した。日本代表は3月17日に行われたプエルトリコとの準決勝で敗退。今村氏はその試合に投げることはなく、WBCは2登板で2回3失点に終わった。「野球自体は楽しめませんでした」と話した。
それでも明るい表情でこう付け加えた。「いい経験になりました。いろんな選手としゃべることができましたしね。基本的に(当時西武の)牧田(和久)さんとずっと一緒にいました。牧田さんにはよくしてもらいました。それから長野さん。お二人にはずっと面倒を見てもらった感じでした」。結果はどうあれ、大舞台で日の丸を背負って投げたことは、もちろん一生の思い出となっている。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)