日ハム戦力外→一般企業内定も…選んだ育成契約 抱えた後悔、“無休オフ”で差した光

西武・黒木優太【写真:小池義弘】
西武・黒木優太【写真:小池義弘】

西武・黒木優太、昨年11月に育成契約→今年3月に支配下契約

 西武・黒木優太投手が、プロ3球団目となる新天地で奮闘している。昨オフに日本ハムから戦力外通告を受けた右腕は、11月に西武と育成契約。背番号136で迎えた今春はキャンプ、オープン戦と猛アピールを続け、開幕前の3月25日に支配下契約の締結が発表された。開幕1軍入りを果たし、17日のオリックス戦では移籍後初勝利を挙げるなど、救援陣の一角を担って懸命に腕を振っている。

 オリックスから移籍1年目で日本ハムを戦力外となった際は「まだやれる」という思いと、現役を引退してプロ野球界を離れる考えの間で揺れ動いたという。実際に“就職活動”を行い「普通の会社で、内定をもらっていたところもあったんです」と振り返る。

「その会社の社長さんとかに『野球は今しかできないんやから、一生懸命最後まで諦めずにもがきなさい』って言われて。『この仕事はいつでもできるから』って……。野球できる時間って限られていますし、そう言われれば『そうやなあ』って思いました。それで、ずっと練習していました」

 もう1つ、日本ハム時代には後悔があった。「何が一番嫌かって考えました。プロ野球(の現役生活)が終わったと考えたとき、家族にもうちょっと野球をしている姿を見せたかったなと思って。あの大観衆の前で投げることがもうないのかと思うと何か寂しくて……」。プロ3年目の2019年1月に結婚した右腕にとって、移籍1年で戦力外になったことは想定外で「日本ハムの時は家族を球場に呼んでいなかったんですよ。クビになって、その辺が凄く心残りだった」という。

 その思いが届いて11月に西武と育成契約。「もちろんうれしかったです。もう一回できるってなって『もう一回夢を追えるんだ』って、とてもうれしい気持ちでした」。もちろん、入団が目標ではない。支配下登録されて、活躍する姿を家族に見せられなければ意味がない。「オフは本当にほぼ休みなしで練習しました」。

 プロ9年目の30歳。チャンスが多くないことは理解していた。「キャンプ一発目からアピールしないと駄目だなって思っていました。ここで出鼻をくじかれたら、育成のまま終わってしまう。正直、かなりオーバーペースでやっていました。後先考えず、とりあえず支配下にならないといけないので」。キャンプ初日から飛ばした。

Full-Countの取材に応じた西武・黒木優太【写真:小林靖】
Full-Countの取材に応じた西武・黒木優太【写真:小林靖】

オープン戦4試合に投げ5回1安打6奪三振無失点

 オリックス時代に右肘を手術し、右肩痛も経験。その不安が「ほぼない」という中で、悲壮感漂うほどの決意を持ってアピールを続けた。「それで怪我したら、もうそこまでだと思っていました。もう年齢も年齢ですし、もう後もありませんし。それぐらいの覚悟を持ってオーバーペース気味にやっていました」。

 オフも休まず調整したとあって「状態は良かった」という。オープン戦は4試合で5回を投げ無失点。許した安打は1本だけで、三振6個を奪い奪三振率10.80を記録した。「結果を見たら1点も取られていないし、内容も悪くなかった。アピールはできたかなと思います」。開幕直前に支配下登録を勝ち取ると、背番号はオリックス時代と同じこだわりのある54を提示された。

 開幕3戦目、3月30日の日本ハム戦(ベルーナドーム)で移籍後のシーズン初登板。1回を投げ3者凡退と上々の再スタートを切った。その後は失点する試合もあったが「打たれる試合は年間を通して何回かある。調子自体は悪くはない」と切り替える。

「打たれた後、引きずらずに、いつも通り後手後手にならないように、しっかり攻めていけるようなピッチングができれば、また波に乗っていけると思う」。酸いも甘いも知るだけに、ちょっとやそっとじゃ動じない。何度も逆境をはね返してきた右腕は、たくましさも増している。

(尾辻剛 / Go Otsuji)

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