「苦しかった」ドラ1入団→即1軍も抜け出せぬ不振 苦悩経て辿り着いた“新境地”

元広島・今村猛氏【写真提供:産経新聞社】
元広島・今村猛氏【写真提供:産経新聞社】

今村猛氏は2016年に67登板で22ホールド…広島の25年ぶり優勝に貢献

 2016年、緒方孝市監督率いる広島は25年ぶりのリーグ優勝を成し遂げた。リリーフ右腕だった今村猛氏は67登板、3勝4敗2セーブ22ホールド、防御率2.44で大貢献した。苦しみを乗り越えての復活劇だった。2014年は17登板で1勝1敗0ホールド、2015年は21登板で1勝1敗1ホールドと不調にあえいだ。「あの時はしんどかったですね」。一時はサイドスローへの”転身”も模索したという。

 プロ7年目の2016年、今村氏はジェイ・ジャクソン投手、中崎翔太投手とともに赤ヘルの“勝利の方程式”を形成した。優勝を決めた9月10日の巨人戦(東京ドーム)では、2点リードの7回に先発・黒田博樹投手を継いで2番手で登板し、1回を無失点。8回をジャクソン、9回は中崎が締めて歓喜の瞬間を迎えた。「もともと二十歳過ぎから、そういうところをやっていたので、やっと帰ってこれたかなと思いました」と言うように、今村氏にとっては復活のシーズンだった。

 プロ3年目の2012年に69登板で2勝2敗4セーブ26ホールド、防御率1.89。2013年の第3回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表入りも果たしたが、フォームを崩した。WBC後の2013年は57登板、2勝5敗3セーブ18ホールド、防御率3.31。2014、2015年はさらに不調に陥った。「何をやってもうまくいかなかった。苦しかったですね」と当時を振り返る。

 2015年は4月12日に1軍登録されたが、6月7日に抹消。2軍調整を経て8月21日に1軍に復帰したものの、本調子ではなかった。「2軍でもそんなによくはなかったはずなんですよ。自分が納得していない状態で(1軍に)上がっていたのでなおきつかったです。ホント何をしていいかもわからない時期だったので……」。とはいえ、何かを変えなければいけないとの思い。そこでサイドスローへ挑戦も真剣に考えたという。

「その年のシーズン中だったかな、ちょっとそれを思っていましたね。オフに練習もしました。遊び感覚でもあったんですけど、やりました。でも向いてなかったですね。これは無理だと思ってすぐやめました」。1人で思い悩み、練習法も含めて模索した。その結果、ハマりそうなものを見つけたという。「フォームをシンプルに簡単にしよう。それにたどりつきました」。

元広島・今村猛氏【写真:山口真司】
元広島・今村猛氏【写真:山口真司】

テークバックをコンパクトにしたフォームで進化

 うまくいった。「投げる時に腕が遅れなくなる。今でいうとショートアームがあると思うんですけど、(テークバックからトップまでを)小さくシンプルにすることで、どのタイミングで投げても(腕が)絶対ついてくるんで、タイミングが合うんですよ。球も戻りました。スピードは出なくなりましたけどキレも戻って、あまりよくなかったフォークが割と使えるようになったんです」。

 テークバックをコンパクトにすることで、ボールの威力が弱くなる心配は「ちょっとありました」という。「でも、もともと150(キロ)がバンバン出るタイプではなかったのでまぁいいかと。これで勝負できるかなと思って2016年は挑みました」。キャンプ、オープン戦と手応えを得て、シーズンは開幕4戦目の3月29日の中日戦(ナゴヤドーム)で2-4の7回から登板、2回無失点と好スタートを切った。

 4月1日の巨人戦(マツダ)で4-4の延長10回に登板。2失点で敗戦投手になるなど当初は苦しんだ。それでも、「(状態は)悪くなかったと思います。春先は以前からあまりよくないので、暖かくなってから伸びてくれればいいかなと思っていた」と前向きだった。言葉通りに徐々に調子を上げ“勝利の方程式”に組み込まれるポジションをつかんだ。8月から優勝決定の9月10日までは20登板で1勝0敗12ホールド、防御率0.87と大活躍だった。

 ビールかけ、祝勝会……。長く苦しんだ分だけ、喜びもひとしおだった。優勝を決めた2016年9月10日を忘れることはない。「黒田さんの先発で優勝できてよかったなぁ、でしたね。(黒田、今村、ジャクソン、中崎のリレーで決めて)個人的には理想型だったと思います」と感慨深げに言い切った。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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