8球で2者連発→サヨナラ負け 予感した“悪夢”、守護神が漏らした「たぶん無理です」

DeNA戦で本塁打を打たれた広島時代の今村猛氏【写真提供:産経新聞社】
DeNA戦で本塁打を打たれた広島時代の今村猛氏【写真提供:産経新聞社】

今村猛氏は2017年途中にクローザーへ…23セーブをマークした

 広島の名リリーバーだった今村猛氏は、2017年のリーグ2連覇にも貢献した。同年は4月中旬から8月下旬までクローザーを務め、リーグ最多の68登板で3勝5敗23セーブ17ホールド、防御率2.38の成績を残した。だが「前年(2016年)よりはよくなかったですね……」と振り返った。守護神として印象に残る試合には、連続本塁打を浴びて逆転サヨナラ負けを食らった8月22日のDeNA戦(横浜)を挙げた。嫌な予感が的中して打たれたという。

 広島が25年ぶりのリーグ優勝を飾った2016年は今村氏→ジェイ・ジャクソン→中崎翔太の“勝利の方程式リレー”が大看板だった。2017年も開幕当初は同じパターンで機能していたが、3カード終了後の4月10日にクローザーの中崎が右腹部の違和感で登録抹消となって状況が変わった。今村氏が抑えに回ることになり、4月11日の巨人戦(東京ドーム)でシーズン1セーブ目をマークした。

 プロ2年目の途中からリリーフが専門職。先発復帰については「全く考えてもいなかったし、やりたいとも思わなかった」と言うが、クローザーに関しては「ちょっとだけ、やりたいなというのはありました。ほんの少しだけ。絶対とかは思ってなかったですけどね」。中崎の故障が理由とはいえ、その役割を任されて意気にも感じたのだろう。

 2016年のクライマックス・シリーズ(CS)前に腰痛を発症。懸命の治療で何とか痛みを和らげてマウンドに上がった。2勝4敗に終わった日本ハムとの日本シリーズでは全6試合に登板して4ホールドを挙げるなどフル回転しており、体に負担はかかっていたはずだ。実際「しんどくはなかったけど、感触、感覚、体の使い方などが、前年よりはよくなかった」と話したが、それを感じさせないほどクローザーとして結果を出していった。

 中崎は5月23日に1軍復帰したが、クローザー・今村が継続された。「中崎→ジャクソン→今村」が新たな“勝利の方程式リレー”になった。存在感は増すばかり。7月7日のヤクルト戦(神宮)では3-8の9回表に広島打線が大爆発。サビエル・バティスタ外野手と菊池涼介内野手のソロ弾と松山竜平外野手の適時二塁打で2点差に迫り、代打・新井貴浩内野手の3ランでひっくり返した試合でも、落ち着いたマウンドさばきで、その裏を今村氏が抑えた。

“七夕の奇跡”と語り継がれる広島の大逆転劇だったが「新井さんのホームランが出て、これで僕が打たれたらまずいなという試合でしたね。早く終わりたいと思っていました」とサラリ。負けられないプレッシャーもなんのその。武内晋一内野手を遊ゴロ、上田剛史外野手を三飛、最後は山田哲人内野手を空振り三振に仕留めた。打者3人、わずか9球でピシャリと抑えての17セーブ目だった。もはや抑えのポジションは不動かとも思われた。

広島で活躍した今村猛氏【写真:山口真司】
広島で活躍した今村猛氏【写真:山口真司】

1点差に迫られたところで登板も…2者連続被弾で悪夢のサヨナラ負け

 悪夢が起きたのが8月22日のDeNA戦だ。5-1の8回裏に先発・野村祐輔投手が嶺井博希捕手にソロアーチを打たれ、3点差になった。9回表の広島はDeNA4番手の尾仲祐哉投手の前に菊池、丸佳浩外野手、鈴木誠也外野手の2、3、4番が3者凡退で封じられ、迎えた9回裏だった。広島ベンチはここでは守護神・今村を投入せず野村の続投を選択したが、柴田竜拓内野手に右前打を許し、筒香嘉智外野手に特大2ランを浴びて1点差に迫られた。そして……。

「サヨナラを食らったんですよね」と今村氏は悔しそうに話した。そこからマウンドに上がったが、ホセ・ロペス内野手に同点ソロ、続く宮崎敏郎内野手にはサヨナラアーチを浴びた。打者2人、わずか8球での出来事だった。嫌な予感がしていたという。「(ブルペンコーチの)小林幹英さんに『たぶん無理です』と言って行きました。試合の流れが悪すぎるとちょっと感じちゃったんですよね。もちろん、それでも抑えなければいけないし、抑えにいったんですけどね……」。

 マイナス要素を口にしながら、逆境を感じながらも、自らを奮い立たせたが、結果は最悪だった。9回裏の先頭から登板してもおかしくない状況だったことから、何かしらのリズムが狂っていたのかもしれない。どんなタフな場面でも守護神を任されている以上、こなさなければいけないのはわかっていながら、気持ちを立て直せなかったのかもしれない。いずれにせよ、悪い方にハマり、悲惨な逆転サヨナラ負けが重くのしかかった。

「確か、その日でストッパーも終わったんですよね……」。それ以降、中崎と入れ替わってセットアッパーに“復帰”した。「正直、最後までストッパーをやってみたかったというのはありましたけど、それまではずっと中崎がやっていたわけですし、それはそれでまたいつも通りに戻ったかなという感じでした。そこはうまく切り替えられましたよ」と話すように、その時点からも7ホールドを挙げた。

 だが「最後の方はあまり調子がよくなかったです」とも明かす。3-2で勝って広島が連覇を決めた9月18日の阪神戦(甲子園)は先発・野村の後を一岡竜司投手、ジャクソン、中崎のリレー。今村氏の登板がなかったのも、そんな状態の悪さが関係していたようだ。シーズンのほとんどを守護神として君臨。広島連覇の立役者の1人だっただけに終盤の内容は不本意だったに違いない。

 その年の広島はCSファイナルステージでレギュラーシーズン3位のDeNAに1勝のアドバンテージを含む2勝4敗で敗れ、日本シリーズ進出を逃した。今村氏は負け展開の4試合に登板し、いずれも1イニングを無失点に抑えたが、勝利にはつながらなかった。「まぁ、いろいろあったと思います……」。常につきまとわれていた右肩痛、腰痛だけでなく、右手人差し指には血行障害のような症状も出始めたという。また苦しい時期が近づいていた。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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