神宮で浴びせられた悲鳴と怒号…傷心の元広島右腕 救ったつば九郎の“神対応”

危険球で退場した後…今村猛氏の心にしみたつば九郎の呼びかけ
元広島のリリーフ右腕・今村猛氏は2018年4月5日のヤクルト戦(神宮)で、節目のプロ通算100ホールド(史上27人目)を達成した。プロ2年目の2011年途中にリリーフ転向、5年目の2014年は0ホールド、6年目の2015年は1ホールド、と苦しんだ時期を乗り越えてたどりついた。この日は別の意味で“ありがたいマウンド”でもあった。ヤクルトの球団マスコット「つば九郎」のおかげだった。
4月5日のヤクルト戦、今村氏は4-2の7回に2番手で神宮のマウンドに上がり、1イニングを打者3人で抑えた。この登板で通算100ホールドとなった。節目とはいえこの時は単なる通過点の感覚。まだまだ数字を伸ばしていくことしか考えていなかった。それよりも、何よりもその登板で感謝したのがつば九郎だった。
今村氏は4月3日のヤクルト戦で6-3の7回から登板。しかし、1死後に川端慎吾内野手に頭部死球を与え、危険球退場となった。川端は担架で運ばれ、ヤクルトファンから悲鳴や怒号が飛び交うなか、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。4月5日はそれ以来のマウンドで厳しいヤジも覚悟していたというが聞こえてこなかった。つば九郎がブログで、ヤクルトファンにそうしないように呼びかけていた。
そこには「やくるとすわろーずふぁんのみなさん、かーぷの、いまむらくん、わざとあてたわけではありません。わかってます、あたまだぞ~!って。あすいこうも、いまむらくんでてくるでしょう。ひんのない、きたないやじはやめましょう」などとつづられており、今村氏もそれを知って、心底ありがたいと思った。5日の登板後に自身のインスタグラムで「つば九郎さん ありがとうございます」と感謝の気持ちも示した。
今村氏は2011年8月7日の巨人戦(マツダ)で、長野久義外野手に頭部死球を与えて危険球退場。それ以降、右打者への内角シュートは「あの時の軌道が出てくる」と投げにくい球になった。その分、外角球に磨きをかけて成長した。川端への死球はその時以来の危険球退場で、しかも今度は左打者。またもや精神的につらい状況だった。なおさら、つば九郎のフォローは心にしみたのだろう。

2018年に広島はリーグ3連覇も…今村猛氏の成績は下降線
その後の今村氏は4月12日の阪神戦(甲子園)で5-1の7回に2番手で投げ、1回を無失点。ジェイ・ジャクソン投手、中崎翔太投手につないだ。4月15日の巨人戦(東京ドーム)、4月17日のヤクルト戦(呉)でも「今村→ジャクソン→中崎」で勝利に貢献するなど、危険球退場による影響を感じさせない結果を残した。5月終了時点で1勝0敗、防御率1.65の成績だった。
しかし、6月になって調子を落とした。「フォームのバランスを崩していた感じでした」。6月下旬から8月上旬まで2軍調整の時期もあった。そこで、またやり直したという。プロ5年目、6年目に不調に陥った時は投球フォームを「小さくシンプルに、簡単に」変えたことで活路を見い出しただけに「あと、何を変えるかなと思いました。最後はとっぱらって何も考えずに投げようと。もっと考え方をシンプルにって感じでね。でも、その時はうまくいかなかったんです」。
2018年、広島はリーグ3連覇を成し遂げた。しかし、今村氏は43登板で3勝2敗1セーブ13ホールド、防御率5.17とV1、V2の時よりも成績を落とした。3連勝で突破した巨人とのクライマックスシリーズ(CS)ファイナルステージでは登板なし。1勝4敗1分に終わったソフトバンクとの日本シリーズには第4戦(10月31日、ヤフオクドーム)で1-3の6回に3番手で投げ、打者6人に3安打の1回1失点と精彩を欠き、出番はそれだけだった。
「結局、コンディションが悪かったんだと思います。(肩、腰など)いろんなもの、全部が(以前とは)違いました」と不調の原因を表現した。3連覇しながらも「苦しみました」とも。それでも43登板したわけだが、振り返れば4月の危険球退場時に、つば九郎による温かいバックアップがなければ、この年はもっと苦しんでいたかもしれない。
2025年2月19日、つば九郎担当者が亡くなったことをヤクルト球団が発表した。恩人の突然の訃報に今村氏もショックを受け、2018年のことを思い出したという。「12球団の中でも一番愛された方だったと思います。違う世界にいっても人気者でいてほしいです」。あの時の感謝の気持ちは、現役を辞めた今も忘れることはない。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)