30歳で悟った“終わり” 痛み止めも言うことを聞かない体…「覚悟」した戦力外通告

広島時代の今村猛氏【写真提供:産経新聞社】
広島時代の今村猛氏【写真提供:産経新聞社】

今村猛氏は2021年限りで現役引退…1軍登板ゼロで「覚悟していた」戦力外

 広島のリーグ3連覇(2016年~2018年)に貢献したリリーフ右腕・今村猛氏は、2021年限りでユニホームを脱いだ。球団から戦力外通告を受け、熟考の末、12月にカープ一筋のまま引退することを決断した。プロ12年目の30歳でのことだった。「初めて1軍に行けなかった年なので、もう終わるかなと思っていた」とシーズン中から覚悟していたという。プロ生活を振り返り「まぁまぁじゃないですか」と笑みをこぼした。

 プロ10年目の2019年から苦しい日々が続いていた。その年はキャンプから調子が上がらず2軍暮らしが続き、シーズン初登板は7月4日のヤクルト戦(マツダ)までずれ込んだ。広島3連覇の3年間は67登板、68登板、43登板。リリーフ投手の宿命とはいえ、試合に投げなかった日の準備も含め、かなり疲弊していたのは間違いない。

「投げないとうまくならないと思っていたんでね。肩だけではないと思うんですけど、いろんなところに反動がきて、結局スピードも落ちて、どうしよう、ああしよう、でもそれができない体になっていると自分で言い訳しながらやっていたと思います」。少々、痛みがあっても素知らぬ顔で投げてきた。「肘、肩への注射は打っていましたし、痛み止めは常備していました」。闘う者としてそれも当たり前と思って突き進んできた。

 マウンドでは常にポーカーフェイスながら、思い描くボールがだんだんと投げられなくなっていくのはつらかったはずだ。2019年は27登板で3勝1敗1セーブ4ホールド、防御率3.55。巻き返しを目指した2020年はわずか6登板で0勝0敗1ホールド、防御率12.46に終わった。「全然駄目でしたね。何しても駄目。もちろん、もう1回這い上がる気ではいましたけど、投げているボールの感覚も全然違うし、何がなんだかわからないことが多かったです」。

 12年目の2021年は1軍登板なし。「自分のボールではなかったですけど、前の年よりはまだよかったんです」と言うように2軍では36登板で2勝1敗、防御率2.78。その間、1軍に行けるかなと思った時に、他の投手が昇格した時もあったそうだ。「でも、それはしかたないし、耐えるしかなかったです」。何とか呼ばれるように調整を続けた。しかし、最後まで1軍から声はかからず10月14日に戦力外通告を受けた。もはや「覚悟はしていた」という。

 トライアウトを受けず、他球団からのオファーを待っている段階の12月に引退を決断した。「年内には絶対終わらせようと決めていましたから。変に他のところに行ってグダグダやるよりはいいのかなぁとも思いました」。周囲からの「もったいない」との声にも「僕はそんな気持ちにはならなかったですね。(現役続行したら)またつらいサイクルを過ごすのかと思う時もありましたからね。まぁ30歳だし(区切りをつけるには)ちょうどいいかなと……」と話した。

広島で活躍した今村猛氏【写真:山口真司】
広島で活躍した今村猛氏【写真:山口真司】

広島一筋12年のプロ人生…431登板で115ホールド「まぁまぁじゃないですか」

 今村氏が戦力外通告を受けた10月14日、同じ長崎県出身で同い年の大瀬良大地投手がDeNA戦(マツダ)に先発し、6回2失点で9勝目をマークした。選抜優勝の清峰・今村は2009年長崎大会準々決勝で長崎日大・大瀬良と投げ合い1-3で敗れ、春夏全国制覇の夢を絶たれたが、その縁はずっと続いた。大瀬良は2013年ドラフト1位で九州共立大から広島入り。プロでチームメートになり、友人になった。

「大地からはバットをもらいました。その日、ヒットを打ったからということでね」。大瀬良は第2打席に右前打を放っていた。その試合では入団同期で同い年の堂林翔太内野手も代打で左前打をマークしており「堂林からも、その時のバットをもらいました」。仲間からの気遣いが何よりもうれしかったのは言うまでもない。

 2019年8月13日の巨人戦(マツダ)で挙げた白星が現役ラスト勝利、2019年9月14日の巨人戦(東京ドーム)で現役ラストセーブ、2020年6月25日の巨人戦(東京ドーム)では現役ラストホールド、2020年9月21日の巨人戦(東京ドーム)が現役ラスト登板と、偶然にもラスト関係はすべて巨人絡みだった。「(2011年4月16日の)初勝利も巨人戦(マツダ)でしたけどね。全然意識していなかったです」と笑った。

 プロ12年間の通算成績は431登板で21勝30敗36セーブ115ホールド、防御率3.46。「まぁまぁじゃないですか。よく中継ぎやったなぁってくらいですね。100ホールドは達成したし、まぁ、いいでしょうという自己評価ですかね」と言い、プロ2年目途中から先発登板がなかったことには「何とも思わないし、後悔もないです」ときっぱり。そして「まぁ個人的にはなかなかストッパーにはご縁がなかったという感じですかね」と付け加えた。

 カープ一筋の12年は栄光と挫折の繰り返しだった。「2軍に落ちた時も投げていたし、休むことはなかった。全部リフレッシュして1回リセットした方がよかったかも」とも話したが、休まず腕を振り続けた姿はファンの目にも焼き付いていることだろう。21歳で日本代表として「第3回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)」に出場し、広島3連覇にもフル回転で大貢献した背番号16は、リリーフの仕事を全力で積み重ねてプロ生活に終止符を打った。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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