会社員と違う立場「言わなきゃいけない」 元プロの“覚悟”、直面した廃部の危機

元ロッテ・成本年秀氏【写真:尾辻剛】
元ロッテ・成本年秀氏【写真:尾辻剛】

元ロッテ・成本年秀氏、古巣の大阪ガスで投手コーチ

 元ロッテの守護神・成本年秀氏は2005年限りで現役を引退。2006年からヤクルトで1軍投手コーチを務めた。その後はロッテでも1軍投手コーチなどを歴任。2013年からは古巣の社会人野球・大阪ガスで投手コーチになり、プロでの経験を還元した。当時は都市対抗出場を3年連続で逃していた低迷期。「みんなで頑張って、選手を鍛えました。監督が怒りたいことを、代わりに俺が怒ったんです」とあえて憎まれ役を買って出たという。

 大阪ガスは2012年8月に選手らの賭博行為が発覚して活動を自粛。同年12月、竹村誠監督(故人)が2度目の就任となり、2013年3月に活動を再開した。そのタイミングに合わせて「力を貸してほしい」とコーチ就任の要請を受けたのが、竹村監督と現役時代に一緒にプレーした成本氏である。「会社から、3年の猶予を与えられて、立て直せなかったら野球部がなくなるような状況でお話を頂きました。それでOBとして少しでも力になれればという思いで、やることになりました」と振り返る。

 当時、社内でチームが置かれた立場は厳しいものだった。選手たちもグラウンドを離れると社内では上司と部下、同僚といった関係になる。「会社では仲間なので、なかなか言えない雰囲気があった」。指導にも遠慮を感じた成本氏は「私は外部の人間なので、言わなきゃいけないことをはっきり言うべき立場。監督を怒らせないようにと思って、監督が怒りたいことがあれば、代わりに私が怒ればいいやって思いました」と嫌われる覚悟で厳しく選手に接した。

「サラリーマンの立場で生きてる人と、OBだけどプロでやった人とでは違いがあると思うんです。自分は1年勝負で技術と結果で生きてきた経験がある。選手は面食らったところがあったでしょうね。最初は相当走らせたし、相当投げさせました。若い選手ばかりで実績のある投手はいなかったから、鍛えるだけ鍛えて『もういけ~!』って感じで。だから練習よりも『試合が楽だ』って言っていましたもん。試合になったら『ヨッシャー』って。そういう選手も結構いました」

 昨年限りで現役を引退した岡田雅利捕手にも「俺の顔は見たくないってぐらい厳しく、一から叩き込んだ」。その指導のおかげで2013年ドラフト6位でプロ入り。西武で11年間プレーした。「プロと比べても、私と過ごした1年が『一番大変だったです』って言っていました。ハハハッ。去年も『引退することになりました』って、連絡きましたし、いいやつですよ」と嬉しそうと回顧する。岸田行倫捕手も巨人入団前に指導した選手の1人である。

都市対抗V、日本選手権3度制覇と黄金時代の礎を築く

 そんな“熱血指導”を施された野球部の存在は「会社にとってシンボルチームだった」という。至上命題だった都市対抗は活動再開1年目の2013年から出場を果たした。翌2014年はベスト8に進出。そして2015年は決勝まで進んだ。準優勝に終わったものの、約束の3年で名門を見事に再建。成本氏の退任後も、その教え子たちが奮闘を続けて2018年には念願の都市対抗での初の日本一を達成した。

 さらには2019年、2021年、2023年と日本選手権で優勝。「私は現役の時も、コーチの時も準優勝だったんですけどね。それからの10年が黄金時代じゃないけど日本一に4回もなってくれているので少しは貢献できたのかなぁ……。今では楽しい思い出です」と満足そうに笑った。

 コーチ時代に指導した選手たちが、今は大阪ガスの指導者となっているのも感慨深いという。2023年から投手コーチを務める大阪電気通信大学の野球部との縁をつないでくれたのも大阪ガス。関係者が卒業生の採用の関係で同大学を訪れた際に、野球部が投手コーチを探している話を聞いて、成本氏との縁をつないだのだ。

「大阪ガスにはたまに顔出したり、社会人の凄さを体験させてあげたいから大学生を連れて行って見せてあげたり、そういうこともしています」。今も古巣の教え子との交流は続いている。

(尾辻剛 / Go Otsuji)

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