元セーブ王が現代野球に警鐘「みんなYouTubeを」 はき違える“厳しい指導”の意味

元ロッテ・成本年秀氏、大阪電気通信大学で投手コーチ
元ロッテの守護神・成本年秀氏は2005年限りで現役を引退。2006年からはヤクルト、ロッテ、社会人野球の大阪ガスでコーチを歴任。独立リーグの滋賀でもコーチ、さらには監督を務めた。2023年からは大阪電気通信大学で投手コーチを務めており「高校、大学、社会人、プロってやって、その後は独立リーグもやったし、グル~ッと一周してる。高校までやったら本当に一周しちゃう」と笑う。
現場一筋の野球人生で、転機が訪れたのは2022年。故郷の兵庫県で生活する両親がそろって入院し、介護が必要になったのである。「野球の現場って、拘束時間が長いのでなかなか離れられないじゃないですか。両親に何かあった時を考えると、離れてるとすぐに動けないんですよね。だから、できれば近畿圏でできる仕事の方がいいかなって思っていました」。
北海道の独立リーグが発足した時には、監督就任のオファーがあったという。だが「『北海道かぁ』と思って。独立リーグも滋賀で経験していたから、難しさとか環境の厳しさとか分かっている。中途半端に行ったら、どうにもならないだろうなと思ったんですよね」。それで断りの連絡を入れたという。
生まれ育った兵庫県西宮市に戻り、初めてユニホームを着ない1年を経験。知人からの成本氏の名前を全面的に出した出店の誘いなども「何回言われたことか」というが「自分が関わらない仕事って、ろくなことないと思う」ときっぱり断った。「お金だけ出して誰かに店長を任せてもねえ……。お客さんは自分に会いに来るわけだから」。
名前だけ貸す商売には抵抗が大きかった。「自分が真剣にやってこそ、どんな仕事でも成り立つ。これやったら儲かるとか、これやったら楽してお金になるという話は大概、駄目じゃないですか。やるなら自分がちゃんと関わらないと。だから、職人みたいに現場畑をずっとやっているんですよ。まあ、自分はそれしかできないんですけど」。
そんな時、古巣の大阪ガス関係者が卒業生の採用の関係で大阪電気通信大学を訪れた際に、野球部が投手コーチを探している話を聞いて、成本氏との縁をつないでくれたのだ。週2回程度の臨時コーチの形で始まった初めての学生指導。「大学生の指導の現場は年々難しくなっているようです。純粋に野球が好きでやっている選手が多いけど、1つのことを継続してできない選手が多いから」と戸惑いもあった。
「ヤバい練習しないと、ヤバいボールは投げられないよ」
阪神学生野球リーグで1、2部をいったりきたりの野球部。ナインを見て感じたことがある「みんなYouTubeを見てる。“YouTube先生”を参考にしている選手が多い。今の子は『聞きに来いよ』って言っても聞きにこない。『どうだ、調子は?』って聞いて、歩み寄って聞いてあげて『もうちょっとこうした方が良くなるんじゃないかな』って言ってあげないと、気が付かないことが多いですね。自分の立場は『気づき』を与えてあげて『手応え』を感じさせてあげることで自信になってくれればいいと思っている」。
昭和の時代の手が出る厳しい指導法が通用しない現代。それでも「駄目なことは駄目と言ってやらないと」と言うべきことは口を出す姿勢を崩さない。成本氏の厳しさは愛情の裏返しである。「選手同士で映像を撮ったりして話をしてるみたいだけど、選手同士だと気づけないこともありますからね。高いレベルを目指すのはいいことだけど、間違ったことをしていたとしたら、望む結果にたどり着かない」と問題点を指摘する。
古巣である社会人野球・大阪ガスの練習に選手を連れていき、自分たちのレベルを実感させるのも1つの手段として定期的に行っている。「昔の自分がそうだったように、まだまだの選手がプロや社会人でやりたいと思っているんですよ。もし本気でやるなら、このレベルまでやらないといけないと知る必要もある。きつい練習させると『ヤバいです』って言うんですけど『ヤバい練習しないと、ヤバいボールは投げられないよ』って言ってますね」。
投手を指導する上で重要視しているのは下半身の使い方。「ピッチングって足が決まらないとバランスを崩す。下が決まって、腕は楽に振れる状態を作るのが大事」という。今は150キロ台後半の球を投げる投手も増える中「150キロは教えられない。でも150キロ出ても空振りを取れないこともある。私は140キロでいいから、コントロールが良くて打者が速いと感じたり、打ちにくいと思われる投手が一番だと思っています。そういうものがプロの技です」。だから今の大学生には「135キロでも、こういうふうに投げたら打者は芯を外すよとか、空振りするよとか、嫌がるよって」と伝えている。
下半身重視の投球同様に人生の“土台”はしっかりしている。選手として、指導者として大好きな野球に携わりながら56歳を迎えた今も、野球教室にも定期的に参加するなど精力的に活動を続ける。「解説とか評論とかする機会はあまりなかったですけど、いろんな現場をやらせていただけた。良いご縁に恵まれましたね。(今も)充実していますよ」。その情熱は、少しも衰えを見せない。
(尾辻剛 / Go Otsuji)




