新人で痛感「絶対信用できん」 二つ返事に翻弄…先輩の助言で懇願もまさかの“2枚舌”

元広島・長嶋清幸氏、プロ初安打の裏にあった“駆け引き”
元広島外野手で1984年日本シリーズMVP男の長嶋清幸氏は1980年5月29日のヤクルト戦(広島)で左腕・安田猛投手からプロ初安打を記録した。プロ2試合目の出場でマークしたが、実はこれ、ヤクルトの大矢明彦捕手にまんまと騙されながら何とか放ったヒットでもあるという。プロの世界で生き抜くための“教訓の打席”にもなったそうで「これはアカン。プロは絶対信用できないと思った」とまで。いったい何があったのか。先輩外野手からの“指令”が関係していた。
私立静岡県自動車工(現・静岡北)からドラフト外でカープ入りした左打者、背番号66の長嶋氏はプロ1年目の1980年5月中旬に1軍昇格。2試合目の出場となった5月29日のヤクルト戦で初安打をマークした。2-18と大差をつけられ、7回表から右翼の守備に就き、7回裏の打席でのことだった。「負けゲームだから、もう使う選手がいなかったんですよ」。相手は左腕・安田で左対左になったが、交代することなく、そのまま打席に向かった。
直前に内田順三外野手から“指令”を出された。「内田さんは(静岡県三島市出身で)静岡の先輩でもあるんだけど『大差だし、絶対聞いてくれるから大矢に“今年入りました、新人の長嶋です、よろしくお願いします、真っすぐをお願いします”って頼め!』って言われたんです。内田さんは以前ヤクルトにもおられて大矢さんのこともよく知っているってことでね」。2人は駒大からヤクルトに同期入団の間柄(内田が1969年ドラフト8位で、大矢が同7位)でもあった。
長嶋氏は忠実に実行した。「打席に入って『内田さんの後輩で今年入った新人の長嶋です。内田さんから大矢さんに頼め、って言われました。あのぉ、すみませんが、真っすぐでお願いします』と言いましたよ。そしたら大矢さんが『あっ、そうか、わかった、いいよ』って言われたんですよ」。となれば、当然、真っすぐを待った。ところが来た球は「全部、変化球だった」と苦笑する。
それでも何とか打ったが「俺は足もそこそこ速かったので、ピッチャーの頭を越えた当たりがセカンドベースのところまでいって内野安打になったんですよ。それが俺のプロ初ヒットなんだけど、あの時はもう絶対信用できん、絶対だまされたらアカンなぁって思った」。また一つ勉強になったわけだが、そこから長嶋氏はさらに経験を積んでいった。
球宴期間中の守備練習でフェンスに激突…左足首を骨折
「一番自信になったのは中日の小松(辰雄)さんの150キロを超える球をライトに打ち返したこと。これでプロの世界で飯が食えると思った」。6月12日には後楽園球場での巨人戦に初出場。代打・長嶋がアナウンスされた時に巨人・長嶋茂雄監督が思わず“長嶋”に反応して出ようとしたとも言われているが、そんなことも含めて? 1軍の場にどんどん慣れていった。7月17日のヤクルト戦(草薙)ではプロ初本塁打&初打点となる代打ソロアーチを尾花高夫投手から放った。
18歳は日増しに成長していった。前半戦を終えて10試合に出場して11打数4安打の打率.364、1本塁打1打点。右翼を守ってプロ初安打もマークした2試合目以外はすべて代打出場で残した数字で、後半戦が楽しみでもあった。しかし、1年目の成績はそこでストップした。球宴休み中の広島市民球場での守備練習で左足首を骨折したからだ。「今でも覚えている。(午後)8時までの練習だったんだけど、その1分前に怪我したんだよね」。
フリー打撃のラストで達川光男捕手が放った左翼への打球を捕りにいった時だったという。「守備さえよくなればレギュラーがとれる、バッティングがいいのはわかっているから守備をやれってコーチから言われていて1時間くらい、ずっと“実弾”を追いかけていた。それがその日の最後の1球だった。全力で走っていって気がついたらフェンスが目の前にあった」。激突だった。「その時、左足がラバーの下にドーンと入っちゃって、くるぶしからパキッといって……」。
瞬間、何が何だかわからなかったそうだ。「ただガーンとしびれて、ウワっ何やろと思った。痛いという感覚はなかったけど、立とうと思っても立てなかった。最初は、捻挫だろうと言われたんだけど、病院に行ったら骨折。あの時は人生、終わったかなぁって思ったね」。広島が2年連続リーグ優勝&日本一を成し遂げたシーズン後半を棒に振ったどころか、完全回復までには半年以上かかったという。
まさかの大試練だったが、プロ1年目からヤクルトの名捕手・大矢に騙されたのをはじめ、多くのことを経験、吸収した長嶋氏は、この球宴休み中の“午後8時1分前の大怪我”も不屈の闘志で乗り越える。病み上がりもなんのその、プロ2年目の1981年は開幕1軍さえもつかむことになる。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)