中日は「行儀悪すぎ」 大乱闘で骨折パンチ、退場処分…監督からはまさかの“タイマン指令”

1988年9月9日、広島対中日戦で起きた乱闘【写真提供:産経新聞社】
1988年9月9日、広島対中日戦で起きた乱闘【写真提供:産経新聞社】

元広島・長嶋清幸氏、中日戦での乱闘で退場処分

 元広島外野手の長嶋清幸氏は1988年9月9日の中日戦(広島)で中日・岩本好広内野手とともに退場処分を受けた。広島先発・長冨浩志投手からの死球に中日・仁村徹内野手が怒ったのがきっかけで両軍による大乱闘劇が勃発。その時にドロップキックを繰り出すなど派手に暴れたのが理由だ。珍プレー好プレー番組などで何度も放映されてきた有名シーンでもあるが、あそこまでエキサイトしたのは、どうしても許せないことがあったからだという。

 それは0-0の6回表、中日の攻撃中に起きた。2死から長冨が、まず中日主砲の4番・落合博満内野手に死球を与えた。続く5番・宇野勝内野手は先制2ランを放ったが、その打席でも危ない球をギリギリでよけるシーンがあり、ドラゴンズサイドはピリピリした空気を漂わせていた。そして6番・仁村も死球を受け、激高してマウンドに走り出すとともに、両軍ナインがグラウンドに飛び出した。

「あの年、いくら中日が武闘派集団でもちょっと行儀が悪すぎたよね。ちょっと(危ない球が)いったくらいで、すぐベンチから選手が飛び出すとかさ、そんなバカなことあるわけねーじゃんって話で。他の球団とやるときさ、話は全部それだったもん。もう今度来たら、絶対行くで、あんなん、なめられとったらいかんわって。試合の中での乱闘やから関係あらへんわ、あんなもん、とか言って、みんなそういう準備をしていた。どの球団もそうだったと思うよ」

 あの日、あちらこちらで小競り合いが繰り広げられた中で、最も激しかったのがショートの守備位置付近だ。長嶋氏がそこで大暴れしていた。センターのポジションから走り込んでキック、パンチの嵐。それを数発食らった中日・岩本は目を腫らし、ユニホームも破れていた。広島の複数の関係者は「あの時は次に何かあったら、岩本を狙おうとなっていた」と、星野仙一監督率いる中日で乱闘要員と言われた男をターゲットにしていたと話す。

 しかし、当事者の長嶋氏はその日の乱闘に関して「違うよ。全然そうじゃない」と否定した。「もともと狙い撃ちしてきたのは中日の方。岩本の岩ちゃんとか複数で(広島遊撃手の)高橋慶彦さんのところに行ったから俺は頭に来たわけ。やるんだったら1対1でやれやって話なんだよ。あれがもし1対1でやっていたら、俺は全然(ショート付近まで)行っていないよ」。中日側のアクションが許せず、先輩を守るために駆けつけたというわけだ。

「岩ちゃんのユニホームをつかんでバーンと殴ったら俺の左の小指がポキッと折れちゃった。だって胸ぐらをつかんでいたから逃がしてないじゃん。あれ逃がしていたらたぶん折れてないんだけどね。あの時、(中日捕手の)中尾(孝義)さんにね、『マメ(長嶋氏の愛称)! 殴ったらアカン』と言って俺の手を両手で持たれたんだよ。もうそこからは足しか動かなかった」

広島など4球団でプレーした長嶋清幸氏【写真:山口真司】
広島など4球団でプレーした長嶋清幸氏【写真:山口真司】

後に因縁の中日に移籍…わだかまりなくプレー

 それから誰かに羽交い締めにされたという。「デカい足があってさ、誰や、これと思って、その足をスパイクでぎゅーんと踏んだの。そしたら『ユー・アー・クレイジー』って言われて……。“あっ、(中日内野手の)ゲーリー(レーシッチ)や”って思ったら、パカン、ポカンって2発くらい殴られた」。

 その後に中日・星野監督がやってきて、状況を見た上で「長嶋! お前、岩本と1対1でやれぇ」と言われたという。「タイマンならいくらでもやるでぇって思っていたし『いいっすよ』って前に出て行こうとしたら(中日外野守備走塁コーチの)島野(育夫)さんに『やめとけ、もう行くな、お前、もうええから』って後ろから引っ張られて止められたんだけどね」。

 当時は乱闘騒ぎも珍しくなかったとはいえ、いやはや何ともすさまじい一件だった。ただし、血気盛んな熱いバトルもグラウンドを離れれば良好な関係を形成。それこそ長嶋氏は後に中日へ移籍し、何のわだかまりもなく溶け込んでプレーしたが、神妙な面持ちで「(過去の乱闘映像とか)そういうのを見るのは好きな人が多くなっているみたいだけど、だからといって今の時代には受け入れられない話なんだよね」とも……。

 プロ9年目、1988年9月9日の乱闘で左手小指を骨折した長嶋氏はそのことを隠したまま、次の試合(9月14日の巨人戦、東京ドーム)にも「6番・中堅」で出場し、4打数2安打1打点1盗塁と活躍した。「周りは薄々(骨折を)わかっていたんだと思う。(広島監督の)阿南(準郎)さんには『マメ、ありがとうな、お前がああやってくれたおかげで面目が保てた。お前、骨、いっているんだろ。もういいよ。休もうや』って言われたんです」。

 もちろん美談ではないが、長嶋氏にとってグラウンドで燃えた思い出の一コマではある。あのシーズン、骨折で休んだといっても、9月下旬には、まだ完治していない状態で復帰して普通にプレーした。それもまた普通のことだという。「骨折していると痛くて思い切りは振れない。だからどっちかというとジャブ。イメージはジャブでやったね」。NPB初の背番号0、長嶋氏は赤ヘル屈指のファイターとしても伝説となっている。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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