来田涼斗が忘れぬ「4球」 5年目に訪れた待望の“初対決”「見逃し三振は嫌だった」

ロッテ・中森俊介(左)とオリックス・来田涼斗【写真:小林靖、小池義弘】
ロッテ・中森俊介(左)とオリックス・来田涼斗【写真:小林靖、小池義弘】

明石商時代の盟友・中森とプロで初対決「ずっと待っていました」

 互いの成長を確かめ合った「4球」だった。オリックスの来田涼斗外野手が、5年目にようやく訪れた明石商時代の盟友、ロッテ・中森俊介投手との初対決に心を躍らせた。

「エグかったですね。ずっと対戦するときを待っていましたから、空振り三振でしたが、うれしかったですね」。5月20日のロッテ戦(京セラドーム)の試合後、来田が頬をゆるめた。

 8回にその場面が訪れた。1‐1で中森が3番手として、4番・頓宮裕真捕手の場面から登板した。7番で先発出場していた来田が中森と対戦するには、少なくとも打者1人の出塁が必要になる。そのため、5番の紅林弘太郎内野手が中前打を放った瞬間、来田はベンチでうれしく思ったという。

 2死一塁で回った打席で、来田のバットはカウント2‐1からの4球目のフォークに空を切った。それまでの打者3人に対し、6球のうちスライダー1球を除いてストレート勝負で挑んできた中森をみて「真っすぐがきていました。伸びもあっていいボールでした」と、成長ぶりを実感したという。

 中学3年の夏、明石商のオープンスクールで出会った2人。1年春からともにベンチ入りし、夏の甲子園に出場。投打の主軸として2年春夏の甲子園で連続して4強入りに導いた。来田は2年春の智弁和歌山戦で、先頭打者本塁打とサヨナラ本塁打という史上初の偉業を成し遂げた。

 3年時は新型コロナウイルスの影響で活躍の場は奪われてしまったが、2020年のドラフトで来田は3位でオリックス、中森は2位でロッテ入りした。

 プロ入り後は、来田が一歩リード。1年目の7月、日本ハム戦(釧路)で高卒新人としてはNPB史上初の「プロ初打席、初球本塁打」という衝撃的なデビューを飾った。一方の中森は、1年目は体づくりに専念し、3年目に開幕1軍入りを果たして4月の日本ハム戦(ZOZOマリン)でプロ初勝利をあげた。

ボールになる変化球を振ってしまった理由

 ともに1軍でプレーする機会はあったが、コンディション不良なども重なり、これまで対戦することはなかった。「試合前に会って『初めてやなぁ』と話していたんです。ストレートを狙っていたんですが、見逃し三振も嫌だったので」と、来田はボールになるフォークを振ってしまった理由を説明した。

 中森との勝負には負けたが、5試合ぶりにスタメン出場したこの日は、2安打を放ってアピール。「試合間隔が開くことが多いので、状態を維持して落とさないようにしています」と話す。

 試合前の早出特打では、体を開かず逆方向への打球をテーマに掲げた。「しばらくスタメンがなく途中出場が多かったのですが、強めにバットを振ろうと思って大振りになってしまい、横振りになっていました。それを修正したかったんです」と修正能力の高さを見せつけた。

 自主トレ、キャンプから「低めのボールを見極められるように」と、下半身の強化に取り組んでいる。「まだまだ、結果は出ていません。みんな打撃の調子がいいですし、外野は特に。もっと頑張らなければいけないと思います」と意気込む。「ポスト吉田正尚」と期待されてきた俊足・強打の左打者が、初の同級生対決に刺激を受け、さらなる飛躍を誓う。

○北野正樹(きたの・まさき)大阪府生まれ。読売新聞大阪本社を経て、2020年12月からフリーランス。プロ野球・南海、阪急、巨人、阪神のほか、アマチュア野球やバレーボールなどを担当。1989年シーズンから発足したオリックスの担当記者1期生。関西運動記者クラブ会友。2023年12月からFull-Count編集部の「オリックス取材班」へ。

(北野正樹 / Masaki Kitano)

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