2軍監督が深夜に大激怒→終わらぬ正座に緊急SOS 懇願した“約束”「辛抱してください」

長嶋清幸氏、2010年からロッテ2軍打撃コーチ
現役時代、広島など4球団に所属した長嶋清幸氏は指導者としても阪神、中日など4球団を経験した。2010年シーズンからはロッテで2軍打撃コーチを務めて、就任1年目にイースタン・リーグ優勝。10月2日にハードオフ新潟で行われたウエスタン・リーグ覇者の阪神とのファーム選手権も制したが、その前夜はなかなかハードだった。広島時代の先輩でもあるロッテ・高橋慶彦2軍監督がナインに大激怒。「こらえてください」と必死で止めたという。
長嶋氏は1997年に阪神で現役を引退。1998年から2003年までは阪神コーチ、2004年から2006年までは中日コーチとして辣腕を振るった。2007年と2008年はユニホームを脱いで、野球評論家として活動し、2009年は韓国プロ野球のサムスン・ライオンズで、元中日投手の宣銅烈(ソン・ドンヨル)監督の下、打撃コーチになった。「宣ちゃんとすごく仲良くしている知人から『日本人のバッティングコーチを探している、お前行ってみないか』と言われてね」。
サムスン時代は1シーズンだけだったが「楽しかった」という。「選手がどんどん結果を出してくれたんだよね。俺みたいに技術論を言うコーチがなかなかいなかったみたい。みんなそういうのに飢えていた感じだった」。ミーティングの資料はすべて長嶋氏が作ったそうだ。「ナイターが終わってユニホームのままみんなで食事、その後、風呂に入ったりしたら、もう(午前)1時くらいになっちゃう。そこからビデオなどチェックしながら4時、5時まで資料を作ってね」。
阪神コーチ時代に学んだ野村克也氏の考えや、岡田彰布氏の考えなどを自分なりにアレンジして、サムスンナインに伝えた。広島時代に鍛えられた走塁技術も教えたところ、数字が劇的にアップしたそうだ。「ホームランの数も盗塁の数もね。選手たちはそれだけの能力を持っていたんだよね。とてもやりがいがあった」。まさに充実の日々だったが、1年で退任したのは広島時代の先輩でその年はロッテ1軍打撃コーチだった高橋慶彦氏に誘われたからだった。
2010年から高橋氏がロッテ2軍監督に就任するということで、2軍打撃コーチとして声をかけられ、悩んだ末に日本へ帰ることを決断した。「そしたら2軍で1年目に優勝したんだよね」。そんな中、大騒動は10月2日の阪神とのファーム選手権(新潟)前夜の宿舎で起きた。「夜中の1時頃かな、もう俺は夢の中だったんだけどね。俺の部屋を誰かがドンドン叩くわけ。それも夢だと思っていたら、現実でさ、何ごとと思って出たらマネジャーが『長嶋さん、助けてください』と」。
いきなりのSOSだった。長嶋氏は「俺も寝ぼけていたんだけど『どうしたの、何があったの』と聞いたら『監督がキレてやばいんです。選手が門限を破ったんです』って。『えっ、マジかぁ、でも他のコーチもいるだろ』と言ったら『みんな寝たふりしています』なんて言うから『何ぃ、嘘だろぉ』ってね」。慌てて駆けつけるとエレベーターの前にナインを正座させて高橋2軍監督が激怒していたという。
「絶対に勝ちます」謝罪も「どっちでもええわ!」
「一応、門限が決まっていて(外出が)知られたらまずいから、カギをフロントに預けていない選手がいたわけ。かといってカギを持っていって、紛失したらそれも大ごとになっちゃうから、部屋にカギを置いといて、ドアをちょこっと開けてスリーピングのカードとかを挟めたりとか、いろいろして出て行っているんだけど、誰かがそれを開けちゃったんだろうね。そこに高橋さんが帰ってきて何でドアが開いているんだって見たら、誰もいなかったってことみたいで……」
高橋監督はただの門限破りでそこまで怒らない。ファーム選手権前夜にあまりにも堂々と破られたことにプチッとなって連帯責任で全員を呼んだそうだ。「監督も酒が入っていたし、このままでは殴りそうな感じがしたから『監督、こらえてください』ってね。選手に『全員部屋に帰れ』と言って監督を引きずって部屋に行った。『気持ちはわかります。俺らの時代はそうでしたしね。でも明日1日です。すみませんけど辛抱してください』と言ってね」。
それで何とか収まったという。「朝一で選手全員を呼んで『いいか、今日、球場に行ったらロッカーに全員集まって監督に“すみませんでした”とおわびの言葉をみんなでかけろ』と言った。他のコーチの人も『その方がいいよな』って話になって『じゃあ、やりましょう』ということでね。監督はそんなことになっているなんて、全く知らないわけ。で、全員集合して監督を呼んでもらったんですよ」。そう言って長嶋氏は思い出したように笑みを浮かべた。
「“何やねん”って感じの監督にみんなで『すみませんでした! 今日の試合は絶対に勝ちます!』と言ったんですよ。そしたら、高橋さんが何て言ったかというと『そんなもん、どっちでもええわ!』って。もうホンマ、俺らの苦労、水の泡でしたよ」。そんな“緊迫事態”で臨んだ試合でロッテ2軍は阪神2軍に勝利した。7回を終わって0-4だったが、8回表に3点を返し、9回表に2点を奪って逆転、その裏に追いつかれて延長戦に突入したが、10回表に勝ち越しての6-5だった。
「そう、勝ったんだよね」と笑う。そして「高橋さんには(広島時代の)三篠の寮で何回も正座させられて、何回もしばかれて、やることがだいたいわかったからね。でも、あそこで手を出させたら、それだけは絶対ダメだったからね」とホッとしたようにも話した。ロッテには2013年まで在籍、2012年は西村徳文監督、高橋ヘッドの下で1軍打撃コーチも務めた長嶋氏だが、ロッテコーチ時代の強烈な出来事として“2010年新潟の夜”はインプットされているようだ。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

