中日OBが警鐘…パワハラの意味 子どもの成長を妨げる“現代の闇”「何になる」

広島など4球団でプレーした長嶋清幸氏【写真:山口真司】
広島など4球団でプレーした長嶋清幸氏【写真:山口真司】

長嶋清幸氏、2020年春にカレー店オーナーに転身

 選手としても指導者としても優勝を経験するなど結果を残した長嶋清幸氏は2019年オフに中日を退団。2020年春からは愛知県犬山市の「元祖台湾カレー犬山店」オーナーに転身し、自ら厨房に立って店を切り盛りしている。短い期間での準備、修業してのオープンだったが、必死の思いでやり繰りして、現在に至っている。もちろんプロ野球OBとして野球界のことも気にならないわけがない。岡田彰布氏ら関わった名将の言葉を思い出したりもするという。

 2010年から2013年までロッテコーチを務めた長嶋氏は2014年シーズンから中日コーチに復帰した。「ロッテ2軍コーチとして残れたはずだったけど、繁さん(森繁和氏)から電話があって『おいマメ(長嶋氏の愛称)、落合(博満氏)が(中日で)GMをやるらしい。どうしてもお前にもう1回(コーチを)やってほしいと言っているけど、どうする』って言われて『誘われたからには断るわけにはいかんすよねぇ』と言ったら『おう、わかった。言うとくわ』ガチャンって」。

 それから数日後、落合GMから電話があったという。「『マメ、悪い。今度は年俸、そんなに高くないぞ、金がないから』と言われた。『いいっすよ、別に』と答えたら『じゃあ、これでやって』と金額を提示され『はい、わかりました』」。それで決まった。落合中日時代の2006年オフにコーチを解任された時はわだかまりもあったが、再び誘われたことでいろんな過去の誤解がとけたと解釈。その後、落合GMから「すまなかった」と頭も下げられて完全に氷解した。

 落合GM、谷繁元信監督兼捕手の下で2014年は外野守備走塁打撃コーチ、2015年にはチーフ打撃外野守備走塁コーチとして全力を尽くしたが、中日は4位、5位に終わった。「谷繁監督は自分の意見よりもGMの意見を反映させないといけないから苦しかったとは思う」。2016年は2軍外野守備コーチになり、森監督体制の2017年、2018年は1軍で外野守備走塁コーチになったが、その間も6位、5位、5位と低迷期を抜け出せなかった。

 2017年オフに落合GMが中日を去り、2018年オフには森監督が退任し、中日OBの与田剛氏が新監督に就任。長嶋氏はユニホームを脱いで、編成担当に回ったが、2019年シーズン限りで退団した。「最後の編成は1年間だけって決まっていた」。それからわずかな期間で「元祖台湾カレー犬山店」のオーナーになることを決意した。「野球界では誘いがなかったし、あまり自分から進んで就活するタイプではなかったんでね」。

 1997年に18年間の現役を終えてからは、どこからか必ず声がかかり、野球界に携わってきた。「何とか周りのおかげでいろいろとユニホームも着てこられたんだけどね」。さてどうするか。そんな時に「元祖台湾カレー犬山店」オーナーへの転身の道が浮上したという。「友達がこの店などのオーナーだったんです。で、“台湾カレーからは撤退しようと思っているけど、もしやる気があるんだったら、そのままどうですか”って話が来たんですよ」

開店目前でコロナ、緊急事態宣言

 悩んだ末に「やる」と決めた。「遅かれ早かれ、ユニホームは脱がなきゃいけないわけじゃん。一生着ているわけじゃないからさ、何かはやらなきゃいけない。飲食業はちょっとだけ頭にはあった。この店のカレーは俺も好きだったし、それがなくなるのは寂しいと思ったしね。その代わり期限があって『もしマメさんがやらなかったら4月には撤退したい』という話だった」。ゼロからのスタート。準備期間は短いが、決めたからにはまた全力でやるのみだった。

 台湾まぜそば発祥の店「麺屋はなび」監修、台湾ミンチを使った新感覚のカレーライスが「元祖台湾カレー」だ。「店の名前も変えていいとまで言ってくれたけど、名前は変えられないよ。名古屋は台湾ミンチの発祥の地だし、それに携わるカレーだからね」。必死になってミンチの炊き方など料理の修業もした。「野球と似ていて感覚が大事。いろいろな食材とかを入れるのも調味料もそう。分量は決まっているけどタイミングとかは全部自分でつかまないと……」。

船出は大変だった。「さぁ、やろうかって時にコロナ、緊急事態宣言ですわ。もともとの店は2月の終わりに締めたのよ。で、10日間くらい期間をおいて新たにやりましょうってことだったんだけど、結局コロナで3月のオープンが駄目になって、4月も緊急事態宣言で全然……。でもゴールデンウィーク前までには絶対に開けたいと思った。人混みを避けて田舎に人が来るのではないか、この時期を逃したら店をやっていけなくなると思って4月の終わりに開けたんです」。

 周囲からの反対の声も押し切っての開店だったが、結果は連日、行列ができるほどの大盛況だった。「時間が制限されていたから大変だったけどね、あのタイミングで開けて良かったなぁと思った。その後もテレビとかにも取り上げてもらって何とか……」。人気メニューは台湾ミンチのカレーに唐揚げ、トロ肉なども乗った『よくばり台湾カレー』。1度食べたら、やみつきになる味と評判になっている。

 そんな多忙な日々を送る長嶋氏だが、今後に向けては「うーん、どうだろう。この年(63歳)になると夢とか希望とかはないかなぁ。ただ、やっぱり、たまにね、野球をやっている子どもたちが店に来て、ちょっと話をしたりする機会はあるんでね、そういうところで何かプラスになるようなことがあればいいのになっていうのは思うよね」という。さらに「今の子どもたちが、野球少年たちがちょっとかわいそうだなと思う」とも付け加えた。

「今、指導するってことがすごく大変。言葉遣いとかさ。技術指導、高度な技術指導をする時だって、そりゃあ、荒らげて言う時もあるよ。だけどさ、それをパワハラだとか言われたら、どんな指導ができるかって話なんだよ。暴力は駄目だよ。暴力は全然いらない。でも態度と口調っていうのは大事。悪いことをしてとか、失敗して怒られている時に冷静に普通にしゃべられたって、そんなの何になる、何の話なん。そういう時に怒られるのは当たり前じゃん。なんでパワハラ……」

「映像を見て自分で解釈するのはやばい」

 長嶋氏は首をひねりながら、続けた。「それはさ、弱い人を守っているわけじゃないじゃん。その人の成長を妨げているんじゃないかって俺は思うわけ。誰にも成長過程というのがある。それを結局、ないがしろにして、その子が大きくなったらどうなっちゃうんだろうってね。俺はそこが悲しいなと思う」。先日、たまたま高校生の練習試合を見る機会があったそうだが、その時も「かわいそうだと思った」と言う。

「あまりにも基本的なことができていなかった。このままでは何のために高校3年間野球をやるんだって話になっちゃう。今の子どもたちは技術論とかにすごく飢えていると思う。でも(YouTubeなどの)映像を見て自分で解釈するのはやばい」。野球界とは離れた世界にいる身ながら、やはり野球のことを語り出したら、自然と口調は熱くなった。

「岡田(彰布)さんが阪神の2軍監督の時によく言われた。『選手の質もちょっと落ちてきているよなぁ。だけど、こいつらにも目一杯お前らが持つ技術とかをちゃんと教えたってくれよ。そうすればその選手がユニホームを脱ぐ時が来ても、将来、プロ野球ってすごいところだぞ、こんなレベルの高いことを教わってきたんだぞって話をしてくれる。ただ声出しとけ、バット振っとけじゃ、プロに行って何だったってなっちゃうから』って。それは今でも覚えている」

 結果が出る、出ないはそれぞれの能力がやはり関係してくる。「わかっていてもできない子はいるし、理解できない子もいる。だけど、ノムさん(野村克也氏)が監督をやったあと、星野(仙一)さんの時に阪神が優勝して、のちのち、“野村さんの言っていた意味がやっと理解できた、あの時は全然わからなかったけど”という選手が多くなった。ノムさんはよく『俺は種をまいて育てて花が咲く前に人に譲るような仕事なんや』って言っていたけど、まさしくその通りだったんだなぁっていうのも思うよね」。

 日本球界初の背番号0、広島などでの現役時代は勝負強い選手として名を馳せ、中日などでのコーチ時代には熱い指導でチームを支えた。ここまで百戦錬磨の野球人生を送ってきた人もそうはいない。現在は『元祖台湾カレー犬山店』のオーナーとして毎日”フル回転”しているが、どんな形であれ、野球界との縁も続くことだろう。それこそ、ここぞの場面ではまたきっと……。「米の値段もそうだし、大変だけどね」。稀代の勝負師・長嶋氏は今もなお、闘い続けている。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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