元阪神捕手が戸惑った“練習”「アホくさい」 運命を変えたライバルの怪我「お前しかおらん」

元阪神・狩野恵輔氏【写真:山口真司】
元阪神・狩野恵輔氏【写真:山口真司】

元阪神・狩野恵輔氏、中学時代は反抗期「荒れた時期」

 嫌々、捕手になった……。2000年ドラフト3位入団の元阪神捕手・狩野恵輔氏(野球評論家)は群馬・赤城村立北中(現・渋川市立赤城北中)の軟式野球部でプレーしたが「まともな練習をしていなかった」と明かす。「ちょっと荒れた時期。反抗期でした」。そんな状況下で、中2(1996年)秋から捕手になったが、元々は投手か遊撃手を希望。「キャッチャーをやっていた子が骨折して……。ホンマ運命でしょうね」と振り返った。

 狩野氏は中2の冬、担任の先生の退任式でピアノの腕前を披露した。「小4くらいからかな。姉貴がやっていたんで僕もピアノ塾に行くようになったんです。好奇心旺盛な子だったんでね、それで中学の時は校歌を弾けるように練習して、それをね。まぁ、リズム感とかは野球にも役立ったかなと思いますけどね」。このピアノに周囲の反応はさまざまだったそうだ。「先生たちもどっちが本当の僕なのか、たぶんわかっていなかったんじゃないですかねぇ……」。

 そう話すのも中学時代の狩野氏は、ちょっとヤンチャな一面も見せていたからだった。「野球は好きだったんですけど、何か真面目にやるのはアホくさいというか、楽しくやれればいいじゃんって感じでね。今の中学生とかはもうプロ野球選手に向けてですけど、僕はそんなこともなく、相談室にも何回も呼ばれましたし、もろ反抗期でしたね」。軟式野球部には入ったが、正直、真剣にはやっていなかったそうだ。

「中1の時はボール拾いだけでしたし、先輩もメチャクチャ怖かったし……。心のどこかでは野球選手になりたいというのはあったんですよ。けど、それを発することが恥ずかしい。野球なんて適当でいいだろ、真面目にやるのがダサいというか。周りもほとんどがそんな感じでしたし……。家に帰って、こそっとバットを振ったりはしていましたけどね」。ピアノは逆に狩野氏の真面目な一面がさせたもの。そのギャップが先生たちをも困惑させたようだ。

「ある先生とはムチャクチャ、仲がいいんですけど、ある先生とは全くソリが合わないみたいなのもありましたしね」。中2の秋からは野球部キャプテン、中3では生徒会長と狩野氏は“要職”にも就いていたが、一方で不真面目な部分も目立っていたのだろう。そんな中学時代に始まったのが捕手人生だ。「僕、中2の時はリリーフピッチャーだったんですよ。だから先輩が抜けたら、エースになると思っていたんです。そしたら友達が『ピッチャーをやる』って言い出して……」

親友が怪我してなかったら「キャッチャーはやっていなかった」

 アバウトな野球部だったから、それが成り立った。「お前はキャプテンだからキャッチャーだろうって。誰もキャッチャーをやりたくないんですよ。僕も『無理無理』といって『ショートに行きたい』って言ったんです。ショートは一番真面目でうまくて僕の大親友で一番のライバルがやっていたんですけど、真面目だから『じゃあキャッチャーをやってあげるわ』と言ってくれてね。そしたら、これも運命なんでしょうね。ものの2試合くらいでそいつが怪我したんですよ」。

 もはや狩野氏が捕手をするしかなかったという。「もうお前しかおらん、キャッチャーやれってみんなに言われて……。それがキャッチャーの始まりです」。長い野球人生において、いくつも岐路があったが、もしもこの時、親友が怪我をしていなかったら「キャッチャーはやっていなかったでしょうね」と話す。「まぁ、うまくなりたいというのはあったんで(ヤクルトの名捕手)古田(敦也)さんのマネをしたりもしましたけどね。教えてくれる人は誰もいないんで」。

 そもそも練習を必死にやらないチーム。「それでも1年上の代は勝ったら県大会ってところで負けたんですけど、僕らが中3(1997年)の時は(勢多)郡の大会1回戦負け。中3の夏は優勝候補のチームに途中まで1-0で勝っていたんですけど、キャッチャー前にバントされて、僕が捕って早く投げようとしたら手が面にコンと当たってバーンと投げたら悪送球。カバーなんてなんやねんのチームですからライトもカバーに来てなくて、追いつかれて結局負けて……」。

 狩野氏は「僕のエラーがなければ」と話しながらも「監督は野球経験のない先生で、僕らはみんな長髪ですよ。他の強かった中学のヤツに後で聞いたんですけど、あの頃『あそこだけには絶対負けるな。野球をなめている。ちゃんとやっていない中学に負けるな』って言われていたらしいです」と苦笑する。不真面目なようで真面目、真面目なようで不真面目という2面性も持ち合わせていた中学時代だったが、野球部での実績はほぼなしだった。

 そんな狩野氏が1996年、1997年と2年連続夏の甲子園ベスト4の野球強豪校・前橋工に進学する。「それもたまたまだったんですけどね」。その野球人生はここからまた劇的に変わっていく。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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