「野球を辞めるつもりだった」 強豪校進学も自主退学を選んだ高校生…挫折から目指す全国舞台

千葉熱血MAKING1でプレーする檀原涼佑【写真:佐々木亨】
千葉熱血MAKING1でプレーする檀原涼佑【写真:佐々木亨】

怪我から復帰した千葉熱血MAKINGでプレーする檀原涼佑内野手

 千葉県野球場で、1人の高校生に出会った。5月22日に行なわれた社会人野球の第96回都市対抗野球千葉県大会。南関東2次予選に向けた順位決定戦で、彼は”社会人”での初本塁打を放った。通信制高校に通いながら、クラブチームに所属する高校3年生が目指すのは東京ドーム。そこには、野球への情熱が詰まっていた。

 千葉熱血MAKINGは、千葉県松戸市を拠点に日本野球連盟に加盟する社会人野球のクラブチームだ。幅広い年齢層で構成されるチームには10代の選手も数名いるのだが、檀原涼佑内野手もその1人。鹿島学園高の通信制に通う檀原が、チームに入団したのは2年前だった。

「一度は高校を辞めて、野球は辞めるつもりだった」

 檀原はもともと、茨城県の私立校である霞ヶ浦高の野球部にいた。中学時代に霞ヶ浦高校付属ボーイズでプレーしていた流れもあり、強豪校で甲子園を目指そうとしていた。だが、入学して間もなく、その思いは打ち砕かれた。

「怪我もありましたが、自分自身の問題で辞めることにしました」

 強豪校の高いレベルに「ついていけなくて……」と、当時の悔しい思いを静かに振り返る。高校1年生の5月いっぱいで退部した檀原は、自主退学の道を選ぶ。

 鹿島学園高の通信制に転入した彼は、ふとした時に、何気なく自宅近くの野球場を訪れた。そこには、年齢に関係なく楽しみ、もちろん真剣に、野球と向き合う大人たちがいた。千葉熱血MAKINGの選手たちだ。「高校生でも大丈夫だよ。練習に参加してみない?」。1人の選手に声をかけられた檀原は、野球への思いが再燃するのを実感した。

「そこからは成り行きで(笑)。野球を辞めたくない、野球が好きだと、改めてその時に思いました」

50代の現役プレーヤー「野球を好きなようにやればいい」

 かつて檀原が所属していた霞ヶ浦高は、昨年の夏に甲子園出場を果たした。たとえベンチ入りは果たせずとも、在籍していれば、目の前で夏の甲子園を実感することができたかもしれない。それでも、檀原はきっぱりと言うのだ。

「千葉熱血MAKINGに拾ってもらって、よかった。社会人野球の世界に誘われて、今こうして野球をやってホームランも打てた。嬉しいですね」

 5月22日の第96回都市対抗野球千葉県大会。YBC柏との順位決定戦で、「7番・ショート」で出場した檀原は右越え本塁打を放つ。自身にとって”社会人”での公式戦初アーチだった。

「野球をやっていてよかった」

 一般的に憧れの甲子園を目指す高校球児とは、その環境は大きく違う。ただ、形は違えども、檀原は好きな野球と真正面から向き合っている。昨年まで現役プレーヤーだった千葉熱血MAKINGの50代の選手からかけられた言葉も、檀原の「今」を支える力になっているようだ。

「自分のできる範囲で、野球を好きなようにやればいい」

 そして、檀原自身は「慣れるまで頑張る」と、いつも心に誓う。高校1年生の苦い思い出があるからこそ、その言葉を噛みしめるのだろうか。千葉熱血MAKINGでも、日々の暮らし、大人たちとの野球に、初めは「慣れるのが難しかった」と言うが、挫折した先で出会えた仲間とともに野球ができている喜びを感じる。だから「頑張れる」。野球を続けていきたいと心底思っている。

「順番は違うかもしれないけど、社会人野球から大学野球へ。まったく先のことは決まっていませんが、そんなことも考えながら、これからも挑戦していきたいと思っています」

 高校3年生の檀原が描く未来図。そこには、野球を通した「希望」が詰まっている。
(佐々木亨)

○著者プロフィール 佐々木亨(ささき・とおる)
岩手県出身。雑誌編集者、フリーライターを経て2024年Full-Countを運営するCreative2に所属。著書に「道ひらく、海わたる 大谷翔平の素顔」(扶桑社文庫)などがある。社会人野球をファンと一緒に盛り上げていくため「stand.fm」やnoteで社会人野球の情報を中心に発信中。

(佐々木亨 / Toru Sasaki)

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