元虎戦士が味わった“嫉妬”「何でアイツが」 不協和音を一掃…掴んだ「最後の枠」

元阪神・狩野恵輔氏、前橋工では1年生強化試合で頭角を現す
元阪神捕手で野球評論家の狩野恵輔氏は1998年、群馬県立前橋工1年夏からベンチ入りを果たした。その年の5月に行われた群馬県の高校1年生強化試合「若駒杯」での成長、活躍が認められてのことだったが、そこでチャンスをつかむまでには、ちょっとしたきっかけがあったという。「若駒杯の監督は、怪我をしていた2年生だったんですけど、その人が僕の中学時代の先輩と同じクラスで、そこから……」。それは野球とは無関係の話から始まった。
前橋工でプロ注目選手に成長して、2000年ドラフト3位で阪神入りした狩野氏だが、1998年の入学当初から期待の選手だったわけではない。「野球部に1年生は40人入ったんですけど、一般生(一般入試組)は僕を含めて4人だけ。あとはみんな推薦で入っていました」。その推薦組には中学時代に野球実績がある選手がズラリ。1996年、1997年と2年連続夏の甲子園ベスト4の野球強豪校・前橋工は1年生のレベルも高かったようだ。
狩野氏はそんな中で頭角を現し、1年夏の群馬大会にベンチ入りするまでになった。「5月に若駒杯という新人大会があって、1年生はみんな、そのために頑張るんです。で、そこで結果を出したんです」。一般生が推薦組を押しのけて、のし上がるのは決して簡単なことではなかったが、それをやってのけた。そのきっかけになったのが、群馬・赤城村立北中(現・渋川市立赤城北中)時代の1学年上の野球部ではない先輩の存在だったという。
どういうことか。狩野氏はこう明かす。「若駒杯に出るチームの監督が2年生の怪我人。当時は他の学校も若駒杯に(実際の野球部)監督が出てくるなんてほとんどなく、コーチとかがやっている感じだったんですよ。その2年生監督が、ホント、たまたまなんですけど、僕の中学の先輩と同じクラスだったんです。で、『お前、アイツと同じ中学だな』って言われたんです」。話はそこから急展開する。
「僕が『ああ、そうですよ』って答えたら『あいつって中学からやばかったの』と聞かれたんです。中学の時の先輩は“高校デビュー”してオラって感じで威張っていたんでね。でも僕からしたらそんな先輩じゃなかったので『いや、そんなことないですけどねぇ』ってチラっと言ったら、それ以来、その(2年生監督の)先輩がよくしゃべってくれるようになったんです。僕がビビっていなかったことで『お前もやばいんやろ』と言われて『違いますよ』なんて言いながらね」
2年生とはいえ、チームの監督だけに、思わぬ形ながらコミュニケーションがとれたことが狩野氏にはプラスになった。「若駒杯の前の練習試合とかで『お前、ちょっとやってみろ』って言われて、バッティングしたら、けっこう鋭い打球をパコーンって打ったんですよ。そしたら『お前、やるなぁ』みたいな。そこから『お前は足も速いし、バッティングもできるし、普通に試合に出られるな』って」。多くの1年生の中でも急激に目立つ存在になったそうだ。
打撃練習で大飛球を連発…1年夏の群馬大会でベンチ入り
中3の時はすでに捕手だった狩野氏だが、前橋工では外野手からスタートした。「『お前、どこのポジションだ』と聞かれて、ほとんどやったことがなかったのに『外野です』って嘘をつきました。高校で野球をやった兄貴に『肘がとんだら終わるから、最初は外野をやっとけ』って言われていたんでね。で、若駒杯にも外野で、スタメンで出るようになったんです」。チームがトーナメント大会を勝ち上がっていくとともに、自身も打撃や走塁で結果を出した。
「最初は7番とか8番だったけど、最後は3番でした。守りはレフトかセンター。肩もそんなに悪くないし、“じゃあ、行けぇ”みたいな感じで……」。この時の活躍が大きかった。「(野球部の)監督が若駒杯に出たメンバーからピックアップするんです。1年生を5、6人ね。そこに僕も入ったんです。それから2、3年生の練習に入れって言われて。先輩はみんな背が高いし、かっこいいんですよ。そんな中でバッティング練習、シートノック、走塁とか全部やらされました」。
まさに選ばれたものだけに与えられたチャンス。「同期にメチャクチャ言われましたよ。だって僕だけ一般生でしたから。あとは中学の時に軟式で全国大会に出ているヤツとかだったんで『何でアイツが入っているんだ』ってね」。だが、その声も力で封じ込める形になった。「バッティング練習ではムチャクチャ打って飛ばせばいいやと思って打ったら何本かフェンスのところに入ったんですよ。そしたら先輩たちが“あんな1年生おるんや”みたいな感じになったんです」。
狩野氏にしてみれば無我夢中で打っただけだったという。「思い切り振っているだけだから、誰でも入るだろうって思っていたんですけど、意外に入らないものだったんですよ。そのバッティングだけで練習試合にもチーム帯同になった。この時の1年生は最初4人。それが大会近くになって2人に。同行できなくなる2年生の先輩もいた中で、僕は最後の枠にまで残ったんです。背番号17かな。夏の大会でベンチにも入れさせてもらいました」。
1年生の中だけでも激しい競争。それをいわば“最後方”の一般生の位置からわずかな期間で這い上がった。「中学の先輩のことがなかったら、(若駒杯の)2年生(監督)の先輩に目をかけてもらえなかったら、こうはなっていなかったかもしれないですよね」。どんな経緯であろうと巡ってきたチャンスを逃さなかったのは実力があってのことだろうが、狩野氏は「それもたまたまですからね」と笑い、きっかけを作ってくれた2人の先輩に感謝している。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)