監督ブチギレ→仰天指令に「はっ?」 “嘘”から出たまこと…元阪神捕手に訪れた転機

元阪神・狩野恵輔氏【写真:山口真司】
元阪神・狩野恵輔氏【写真:山口真司】

元阪神・狩野恵輔氏、前橋工で1年夏の群馬大会は代打出場

 阪神での現役時代には開幕スタメンマスクの経験もある狩野恵輔氏(野球評論家)は、群馬県立前橋工で、1998年の1年秋から捕手となり、レギュラーの座をつかんだ。1年夏には代打要員の外野手としてベンチ入りしたが、選手層が厚く新チームでは当初、出番なし。それがポジション変更をきっかけに道が開けた形だが、これには前橋工・矢端都雄監督の先輩捕手陣への大激怒が関係していたという。

 前橋工は1996年と1997年に2年連続夏の甲子園ベスト4。そんな野球強豪校で狩野氏は1年夏からベンチ入りを果たした。高校入学以来、巡ってきたチャンスをことごとくモノにして、多くの1年生の中で目立つ存在になった。群馬・赤城村立北中(現・渋川市立赤城北中)軟式野球部時代には実績を残していなかっただけに「僕からしたら、もうパニックでしたよ。わずか3か月くらいで、このメンバーと一緒にやっている、ということだけでもね」。

 打撃が評価されての抜擢だった。「お前は代打だから、シートノックには入らなくていいと言われて、その時は監督へのボール渡しをやっていました」。1998年夏の前橋工は群馬大会準決勝で太田市商に4-5で敗れた。狩野氏の出番は1試合だけ。「2回戦だったかな。大量リードの試合に代打で1打席。ピッチャーゴロでした。ペコンって感じのね。メチャクチャ緊張しましたけど、メチャクチャうれしかったです。“メチャクチャ強い名門の前橋工で、ウワー、俺、出られた”ってね」。

 1年生当時を振り返れば、とにかく無我夢中だったという。「もうがむしゃらですよね。負けたくないし、やらなくちゃって感じで。あの頃、練習を練習と思っていなかったんですよ。周りから見たら、よく練習するなって思われていたかもしれないけど、僕はそんな気はなかった。何か遊びの延長みたいな」。野球に対する真剣さが欠けていた中学時代とは一転して、高校ではすべてのことに真面目に取り組んだ。

「何となく覚えているんですけど、1年の時、ウエートトレーニングを教えてくれる先生に『プロ野球選手になるにためにはどうしたらいいんですか』って聞いたんです。先生は全然知らない中学から来たヤツが何言っているんだって思ったらしいけど、『スクワットをしろ』って言われたんです。それで僕、スクワットばかりやっていたんですよ。みんながベンチプレスとかをやっているときでもね」。すると先生の反応が変わったそうだ。

「先生が“こいつは、言われたことをちゃんとできるんだな”みたいな感じで見てくれて、さらにいろんなことを教えてくれたんです。おそらく、最初は『スクワットでもやっとけ』くらいの話だったと思いますよ。それを真面目にやったのがよかったんでしょうね。1年生はグラウンドの石拾いをするんですけど、僕はそれも真面目にやりました。みんなは嫌そうでしたけどね。そういうことを続けたことで他の人の僕への目線も変わっていったと思います」

先輩捕手に監督が激怒…「中学の時、キャッチャーやろ」

 しかしながら、1年夏が終わり、新チームになっても試合にはなかなか出られなかった。「外野はうまい先輩が何人もいたんですよ。僕はバッティングだけだったんで、結局代打って感じで。1年からベンチに入っていたのに、あれあれって思っていました。そんなときですよ。秋の大会前の練習試合かなんかだったかなぁ。たまたま監督がキャッチャーの先輩2人にブチ切れたんです」。それが狩野氏にとって転機になった。

「先輩は1人が、肩のいい守備型の人、もう1人は、打撃はいいけど守備がちょっと、って感じの人だったんですけど、監督が『全然できていないじゃないか』と怒りだして、いきなり『狩野、お前、中学の時、キャッチャーやろ。できるか!』と言われて、“いいえ”とは言えないので『はい!』と言ったら、次の日、スタメンだったんですよ。そんなの無理じゃないですか。はっ? って思ったけど試合にも出たいし“いいえ”も言えないし、借りたミットでやったんです。そしたら勝ったんですよ」

 入学当初、先輩にポジションを聞かれた際、中学時代に捕手だったのに「外野です」と嘘をつき、以来、外野手だったが、矢端監督はそれも見抜いていたのだろうか。「監督に『キャッチャーをやれ』と言われて、そこから高校でもキャッチャーです。キャッチャーをやるつもりで高校には入っていなかったんですけど、試合に出なくちゃ駄目ですしね。初めてリード面なども勉強しました」。2人の先輩捕手とポジションを争った。

「先輩捕手の方がいいというピッチャーもいたし、いろいろあったんですけどね」。最終的には狩野氏がレギュラーの座をつかんだ。「トータルで勝ったって感じですかね。先輩2人はそれぞれバッティングの人と守備の人。僕はどっちも特化していないけど、どっちもそつなくできたってことでね。それにね、2人の先輩(捕手)がまた、いろいろ教えてくれたんですよ。ホント感謝しかないんです」。

 それにしても、矢端監督が2人の先輩捕手に激怒していなかったらどうなっていただろうか。「チャンスはなかったと思います。だから運もあるんですよ」。その後、狩野氏は前橋工で強打の捕手としてプロ注目の選手に成長し、2000年ドラフト3位で阪神入りするが、そんな野球人生にも、もしかしたら、この時の一件は影響を与えたかもしれない。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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