「巨人には行きたくない」 4球団が接触も…17歳がまさかの“拒否”、歓喜した阪神の指名

元阪神・狩野恵輔氏【写真:山口真司】
元阪神・狩野恵輔氏【写真:山口真司】

元阪神・狩野恵輔氏、プロ志望を父が後押し

 野球評論家の狩野恵輔氏は2000年のドラフト会議で阪神から3位指名されて、プロ入りした。群馬県立前橋工の強打の捕手として将来が楽しみな逸材と注目を集めていたが、高3夏の群馬大会後の進路相談まで、どこのプロ球団スカウトが来ているのかも知らなかったという。その上、前橋工の野手は高校から直接プロ入りさせない後援会長の方針もあった。それを“突破”したわけだが、これには父・宏治さんの熱いアクションが原動力になっていた。

 2000年夏の前橋工は群馬大会決勝で桐生第一に0-5で敗れた。甲子園には行けなかった。主将を務め、「4番・捕手」だった狩野氏の高校生活最後の戦いはそこで幕を閉じた。無念の結果に涙を流した。同時に「これで一区切りだな。この先、大学に行くのかな、社会人に行くのかな。野球は続けたいけど、どうなるだろうなって考えてもいました。その時はプロ野球選手になるなんて思ってもいませんでしたね」。

 高校3年春から突如、本塁打を量産し始めたとはいえ、急成長した逸材をプロもマークしていた。だが、そんな情報は一切、耳に入っていなかったそうだ。「プロだけじゃなく、大学や社会人についてもどこから話が来ているとか、言われていませんでした」。実状を知ったのは夏の大会後の進路相談の時という。「(監督に)『どうしたいんだ』と聞かれたので『どこから話があるのか、教えてください』と言ったら『じゃあ全部言うからな』って」。

 プロ、大学、社会人のいずれもが狩野氏に興味を示していた。「大学には兄貴や姉貴が通っていたし、末っ子の僕まで行ったら親に迷惑をかける。行きたい大学が全免除じゃなかったこともあって大学には行けないなと……。じゃあ社会人かって考えた時、それだったらプロの方がよくないかなって思った」という。だが、これには問題があった。「その時の後援会長が、高校生投手はいいけど、野手はプロに行かない方がいいとの考えで、認めていなかったんです」。

 それでも狩野氏の気持ちはもはやプロに傾いていた。「周りからは(後援会長の考えを踏まえて)プロは無理じゃないかって言われたんですけど、僕は『プロに行きたい。大学とかに行ってどうなるかわからないし、勝負するなら今から行きたい』と親に話をしたんです。そしたらオヤジが『わかった、会長のところに話に行こう』って。直談判することになったんです。『すみません。ウチの息子がプロに行きたいと言っています』と……」。

 予想通り、後援会長からは「行っても無理だからやめときなさい」と反対されたが、父・宏治さんは譲らなかった。狩野氏は「その時のオヤジ、かっこよかったんですよ」とうれしそうに話す。「オヤジは会長に『言われていることはわかります。ただ、これは息子の夢なので、狩野家として応援することに決めたので、プロに行かせます。最後はちょっとわがままを言わせてください』と言ってくれたんですよ」。

最後に残った3球団…意中の阪神が3位指名

 なかなか思い切った発言だったという。「絶対的な力がある人で、会長に言われたら普通なら『わかりました、その通りにします』となるところをオヤジは、はねのけたんです」。そして、それが功を奏した。「会長は『そんなことをいう親は初めてだ。そこまでの気持ちがあるのなら行かせて、活躍すればいい』と言ったんです。それで僕はプロを志望することになりました」。プロは阪神、巨人、ロッテ、日本ハムの4球団が狩野氏に触手を伸ばしていた。

「希望は言えなかったけど、セ・リーグがいいなと思っていた。理由はテレビで親に見てもらいたかったから。で、もっと言えば巨人には行きたくなかった。その年の巨人のドラフト1位が(同じ捕手の)阿部慎之助さん(中大、逆指名)に行くってなっていたから。そこに僕が行っても無理って思ったんでね、ということはつまり阪神に行きたいということだったんです」。その後、日本ハムが手を引き、3球団が候補だったという。

「ドラフト前日にロッテから『3位で指名します』との連絡をいただきました。ムチャクチャうれしかった。これでプロに行けるってね。で、巨人は5位か6位、阪神は3位かどうかって感じでした。阪神に行きたいけど、それは無理かもしれないなって思っていました」。当時のドラフト会議は3位からウエーバーで2000年パ・リーグ最下位の近鉄、セ・リーグ最下位の阪神、パ5位のロッテの順に指名していった。

「テレビのドラフト中継が2位までで、3位は最初の近鉄の指名だけで次の阪神の指名になるところで放送が終わったんですよ。で、その後、連絡がなかなか来ないから“阪神じゃなかったんだな、これでロッテだな”って思っていたところで部長先生に『阪神だよ、おめでとう』って言われたんです」。意中の球団からの指名に胸が高鳴った。阪神監督は野村克也氏。その著書でリードの勉強をしてきたこともあり「それもうれしかったです」という。

「関西は中学の修学旅行で京都、奈良に行ったくらいだったので、そこからどんなところかなぁって調べました。関西の文化もわからないし、阪神ファンが熱狂的というのもあまり知らなかったんですけどね」。もちろん、それもこれも父・宏治さんの熱いバックアップがあったからこそだろう。「(前橋工の)後援会長にも、その後もずっとかわいがってもらいました。挨拶にいったら『頑張れよ』って言ってくれて……。それもよかったです」と狩野氏は懐かしんだ。

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