巨人戦で味わった屈辱「みじめだった」 こぼれた涙、マウンドから動けず…ドラ1の忘れぬ光景

サヨナラ本塁打を許したヤクルト時代の川崎憲次郎氏【写真提供:産経新聞社】
サヨナラ本塁打を許したヤクルト時代の川崎憲次郎氏【写真提供:産経新聞社】

川崎憲次郎氏は1990年、セ・リーグ史上初の優勝決定サヨナラ弾を浴びた

 1988年ドラフト1位でヤクルトに入団した川崎憲次郎氏は、高卒1年目にプロ初勝利とプロ初完投初完封を巨人相手に飾った。しかし2年目の1990年、セ・リーグ史上初の屈辱に遭う。「みじめだった」とベンチで流した涙が、プロ通算88勝中、29勝が巨人相手という“Gキラー”の礎となった。

 29試合に登板して12勝13敗、15完投と高卒2年目にしてフル回転していた川崎氏。9月8日、圧倒的な強さを見せ優勝間近だった巨人戦(東京ドーム)のマウンドに上がった。延長10回1死、吉村禎章氏にカウント2-0から投じた3球目を弾き返され、打球は右翼フェンスを越えた。セ・リーグ史上初めて、サヨナラ本塁打で優勝が決まった瞬間だった。

「みじめだったね。歓喜の輪ができて盛り上がっているときに、しばらく歩けなかった。ベンチで『クソ』と思ったら悔し涙が出た。情けないのとめちゃくちゃ悔しいのが入り乱れて。あれがキッカケで『巨人だけには勝ってやるぞ』というものが芽生えたのはあります」。襲われた“試練”も「次の巨人戦という目標ができたから」と引きずることはなく、むしろ燃えた。

 実は吉村氏とは不思議な“縁”もあった。1年前、吉村氏が左膝靭帯断裂の大怪我から復帰した際の投手が川崎氏だった。今も語り継がれる2つのシーン。「吉村さんはね……忘れられない」と川崎氏の脳裏にも刻まれている。

元ヤクルト・川崎憲次郎氏【写真:町田利衣】
元ヤクルト・川崎憲次郎氏【写真:町田利衣】

4年目の2月に右足首捻挫「俺のストレートは終わった」…1軍登板なし

 プロ3年目の1991年も14勝(9敗)とキャリアハイを更新したが、上り調子の4年目だった。2月にボールを踏んでしまい軸足の右足首を捻挫。出遅れたくない気持ちが先行し、上半身頼りの投球になった。「そうしたら肘にきたんです。足の捻挫をして、俺のストレートは終わった。やはり俺らのレベルだと、7、8割の力では通用しない。高校のときはいけたけれど、プロは常に9、10割を出しておかないと通用しないから」。

 この年、プロ入り後初めて1軍登板なしに終わった。くしくもチームは14年ぶりにリーグ優勝を成し遂げたが、もちろん川崎氏は日本シリーズにも出ることはできなかった。「それまでとんとん拍子できたけど、あの年は悔しかったね。次に日本シリーズに出られる保証なんてないし、なんで俺はいないんだって悔しくて」と貢献することのできない自分に腹が立った。

 西武との日本シリーズでは、神宮球場開催試合は球場での観戦を命じられた。「見ていたはずなのに覚えていない。たぶん、悔しすぎたんだろうね」。しかしこの“反骨心”が翌年の復活劇を呼ぶことになる。

(町田利衣 / Rie Machida)

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