日大三の2年生4番、春の涙と甲子園への覚悟 監督の叱責が導く真のチームリーダーへの道

2年生から4番を任される日大三・田中諒【写真:編集部】
2年生から4番を任される日大三・田中諒【写真:編集部】

2年生4番・田中諒が抱える“もどかしさ”

 指揮官の言葉が、2年生スラッガーの“心”を動かした。名門・日大三高(西東京)の田中諒内野手は春の敗戦、監督の叱責、そして自覚の芽生え。全てを背負って、彼は「真の4番」へと進化しようとしている。

 日大三は春の東京大会では準決勝で東海大菅生に1点差で惜敗。田中は2年生ながら4番に座り、3打数2安打と気を吐いた。だが7回、1点差に迫った2死一・三塁の同点機に惜しくも二直に倒れ、後続も断たれた。あと一歩のところで決勝進出を逃した。

 試合後、悔しさのあまり涙をこぼしていた。まだ夏の大会が残っているにも関わらず、だ。「チャンスで(安打を)打つことができなかった。本塁打性の打球もファウルに終わってしまって……。自分がものにできれば(結果は変わっていた)」。4番としての責任感から出た涙だった。三木有造監督もその姿は印象に残っていた。大きく成長する機会になるのではないか、と感じていた。

 だが、背負ったはずの責任の2文字をなかなか下ろせずにいた。春の大会を終えて、夏に向かおうとしている中、ある“出来事”があった。

 自身のバッティングの調子が上がらないなかで挑んだWヘッダーの練習試合。田中は1試合目、4打数無安打だった。気持ちが上がらない中、迎えた2試合目の第1打席。打った打球を確認せず、下を向いて一塁へ走り出した。全力疾走を怠ったのだった。途中交代となり、試合中三木監督から「何をしているんだ」と、叱責された。

 三木監督にとってみたら、田中は2年生から4番を任せる特別な存在だ。指揮官は田中についてこう評する。

日大三・三木有造監督【写真:編集部】
日大三・三木有造監督【写真:編集部】

監督の“叱責”から芽生えた自覚

「このチームは彼が打たないとダメなチーム。打って淡々としていればいいと思うのですけど、打たないで淡々としてるっていうのが一番良くない。ダメなことはダメなので、それを4番だから『まぁ……いいか』って流すのが一番嫌なんです」。

 名将・小倉全由前監督のもとで長らく参謀を務めていた三木監督の指導方針からきたものだった。普段は“兄貴分”として選手たちと接しているが、一人の人間として育てていくことを大切に考えている。野球は一人で行うスポーツではない。チームとして戦う必要がある。

 三木監督は続ける。

「あの日の練習試合以来、ちょっと(田中に)距離を置かれているけど(笑)。でもそれが大事で、怒られてヘラヘラしていたらダメだと思うから。彼にはチームを引っ張ってもらわないと。それだけの練習もしてきているし、それだけのものを持っているので」。

 打線の軸である選手が下を向いていたら、チームに悪影響が及ぶ。早い段階で芽を摘んだのだった。下級生から4番を任せる田中に全幅の信頼を寄せているからこその叱咤激励だった。

 2年連続の優勝を目指す早実やタレントが揃う東海大菅生や八王子など強豪がひしめく西東京大会は7月5日に開幕する。第2シードの日大三は7月14日に初戦を迎える。

「やっぱり4番が打たないというのは自分の中ではある。夏はやっぱり打って、チームに貢献したいと思っています」。

 春の悔しさ、監督の叱責を経て、名門・日大三の中心選手として徐々に“自覚”が芽生えている。

○著者プロフィール
神吉孝昌(かんき・たかまさ)
1994年生まれ、兵庫県出身。大学時代は某スポーツ紙でアルバイト。高校野球取材が夢で就活時にスポーツ記者を目指すも涙の挫折。その後番組制作会社、ゴルフメディアを経て2025年5月からFull-Count編集部に所属。甲子園で見た一番の思い出は小学校6年生の時に見た06年夏智弁和歌山が帝京(東東京)を13-12で制した準々決勝。両校で7本塁打と壮絶な戦いは忘れない。

◇10年後の君へ ~Tokyo高校野球物語~
JCOMでは6月28日(土)午後6時から東京の高校野球の裏側に迫る特別番組「10年後の君へ ~Tokyo高校野球物語~」を放送。東亜学園や日大三、帝京の強豪の密着からチームを支えるマネジャーや応援に欠かせない吹奏楽部や地域の人々など活動も紹介。東京都内のJ:COMサービスエリアで放送予定。(※東京都町田市、稲城市の初回放送は6/29(日)午後9時)

(神吉孝昌 / Takamasa Kanki)

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