3年間1軍登板なしも…開幕投手指名に「耳を疑った」 後に聞いた「引退させるため」の決断

中日時代の川崎憲次郎氏【写真提供:産経新聞社】
中日時代の川崎憲次郎氏【写真提供:産経新聞社】

川崎憲次郎氏は2004年に中日の開幕投手を務めるも2回途中5失点KO

 2001年の中日移籍後、右肩の故障により3年間1軍登板がなかった川崎憲次郎氏は、2004年に開幕投手を務めることになる。予告先発がなかった時代に生まれた超サプライズは、年始早々にかかってきた落合博満監督からの電話で告げられた。

 1月3日、この年から指揮を執ることになった落合監督は電話口で言った。「2004年の開幕投手はお前で行くから」。山本昌や川上憲伸がいる中で、FA加入してから1軍で1試合も投げていない投手が大役を任されたのだ。

「耳を疑ったけど、うれしかったですね。ほかの投手に申し訳ないと思う反面、これをキッカケにまた10勝できるのではという思いもありました」。まさかの指名を意気に感じ、調整にも熱が入った。自身の誕生日である1月8日には捕手を座らせて投球練習を行い、2月1日のキャンプ初日に行われた紅白戦にも登板した。

 開幕戦は4月2日、ナゴヤドームで行われた広島戦だった。川崎氏は1274日ぶりとなる1軍のマウンドに上がった。緊張はあまりしないタイプの右腕が、2球サインミスをするほど浮足立っていた。初回こそ無失点も、2回に5失点してKO。「打たれた瞬間に、これだけの球しか投げられないんだなと。普通だったら抑えられていたものが、俺の力はないんだなと、これが現実なんだなと思いました」。華々しいはずの、待ち望んでいたはずの舞台で、終わりを悟った。

取材に応じた川崎憲次郎氏【写真:町田利衣】
取材に応じた川崎憲次郎氏【写真:町田利衣】

「これだけしか実力がないんだからわかってよっていうサインだったと…」

「後で聞いた話ですけど、俺を引退させるためにどこが一番ふさわしいかというのが開幕戦だったそうです。クビにするのは決まっていて、怪我をしている投手はモチベーションが低いからどこで上げたらいいかというので、落合さんがあの日を選んだんだそうです」

 後日談を聞いたときの気持ちを、川崎氏は「だろうなと思いました。答えはハッキリとはわからないですけど、これだけしか実力がないんだからわかってよっていうサインだったんだと思います」と静かに語った。

 次の登板となった4月30日の横浜戦は、1死も取れずわずか15球で4失点。そのとき落合監督からは「もう1回チャンスをやる」と言われたが、その“もう1回”は10月3日の引退試合となった。

(町田利衣 / Rie Machida)

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