チラつく引退…2軍降格で違和感「僕は邪魔だな」 阪神に隠し通した“終わりの時”

元阪神・狩野恵輔氏、選手会長就任も陥った不振
悪い方にハマってしまった……。元阪神の狩野恵輔氏(野球評論家)は2017年シーズン限りで17年間の現役生活にピリオドを打った。前年(2016年)は“虎の代打の切り札”だったが、ラストシーズンはわずか5試合の出場で5打数無安打だった。実は最初から「キーになる年と思っていた」という。「優勝するか、僕がムチャクチャ活躍するか、終わる年かと……」。シーズン途中からは「“うわー、こっちの方かもしれん”と考えてしまった」と当時の胸の内を明かした。
2000年のドラフト3位で群馬県立前橋工から捕手として阪神入りした狩野氏はプロ9年目の2009年にレギュラー捕手の座をつかんだ。だが、その年のオフにメジャー帰りの城島健司捕手が加入したことで、実質2010年から外野手に転向。さらに腰痛に悩まされるようになり、2012年オフには育成契約になった。2013年7月に支配下に復帰できたが、1軍で結果を出せず苦しみ抜いた中で代打として活躍し始め2016年には“代打の切り札”を務めるまでに巻き返した。
2016年オフには阪神選手会長に就任。「(前会長の)上本(博紀内野手)に『狩野さん、やってください』と言われた。『俺なんかいいよ』って言ったんだけど『若手がまだいないから、間で1回だけやってください』というので『じゃあ1年だけでも』と言ってやったんですけどね」。もちろん1年限りの思いは選手会長の職だけのこと。選手としては代打人生に厚みを増すつもりでプロ17年目の2017年シーズンに挑んでいた。
「17年が、けっこうキーになる年だと思ったんですよ。これは勝手な僕の判断ですけど“17”って数字がけっこうついて回っていたんです。誕生日が12月17日、阪神と契約した日が11月17日とかほかにもいろいろあったんです。で、2017年じゃないですか。自分の中で、阪神が優勝する、あるいは僕がメチャクチャ活躍する、か(現役が)終わる年だと思ったんです。17を超えたらわからないですけど、確実に何かがあるはず、とね」
そして、プラスになることだけを考えるようにしたという。「いい方でね。自分が選手会長になった年に優勝する。あ、これはあり得るなって、くらいの気持ちでいたんです」。だが例年以上に調子が上がらなかった。開幕2戦目の4月1日の広島戦(マツダ)では8-8の8回、勝ち越しのチャンスに代打で起用されたが、三振(試合は延長10回8-9のサヨナラ負け)。同4日のヤクルト戦(京セラドーム)は2点を追う9回裏の好機に代打で遊ゴロに倒れた(試合は1-3)。
同5日に2軍落ち。もう一度やり直したが、うまくいかなかった。「スタートから自分自身の成績があまりよくなくて、あれ、おかしいなって。で、ファームでやっても全然成績が出ない。そしたら、だんだん思っちゃったんですよね、“うわー、こっちの方かもしれん”ってね」。封印していたはずの17のマイナス要素である“終わる年”の方を考え始めてしまったそうだ。「5月頃には嫁さんに『7月までに1軍に呼ばれなかったら辞める』と言いました」。

「パワーで勝負しようとしたからうまく打てなくなった」
これまで打ちのめされては這い上がり、また、打ちのめされては復活するという野球人生を歩んできたが、この時ばかりは違った。「ファームで僕は邪魔だなって思ったんです。若手が頑張っている、コーチたちもワーってやっているのに、自分が一番年上でベンチの後ろに座っているときに、メチャクチャ僕を使いづらいだろうなってね。これではよくないなぁ、やばいなぁって思った。それで嫁さんにも『7月までに』と言ったんです」
それにしても1年前は代打の切り札としてバリバリに活躍したのが、どうしてそうなってしまったのか。「その時は原因があまりよくわかっていなかったんですが、振り返れば、あの年、体を大きくしたんですよ。(体重を)増量しました。食べて、ウエートして……。もともとスピードで勝負するタイプなのにパワーで勝負しようとしたからうまく打てなくなった。もう走るとかじゃない、代打だから打てばいいと思って失敗したんですよ」と狩野氏は話す。
「技術が落ちたとかよりは、そんな最初のところで噛み合っていなかった。一番それが響いたと思います。バッティングをやっていても何か変だなぁってね。で、他の選手が活躍したら、自分も頑張らなきゃいけないってまた焦る。でも成績が出ない。あれ、おかしいな、おかしいな、みたいな感じでした。感覚を戻すのに必死にやったけど、結局、戻らずみたいな……」2017年の狩野氏は8月26日に1軍再昇格。自身で設定したタイムリミットの7月を超えていた。
「その時点で何人かの知り合いには『辞める』と言っていました。でも球団には言っていなかったのでやるしかない。もう1回、必死にやったんですけど、気持ちが後ろ向きだったんでしょうね。ホント、ムチャクチャ申し訳ないんですけど、その後、(3試合)3打席に立ちましたけど、まったく球が見えていなかったです」。9月3日の中日戦(甲子園)、2-4の7回裏での代打が現役ラスト出場になった。相手は中日右腕・谷元圭介投手だった。
「空振り三振です。もう全然当たらんわって感じの。真っすぐもメチャクチャ速く感じるし、もう全然駄目だと思った。空振りしてベンチに帰る時の雰囲気で、ああ、これでファームに落とされるなって全部見えるんですよ。ああ、これが現役最後だなって思った。そしたら、本当に(翌9月4日に)ファームに落ちて、現役最後。何かそれも覚えていますね……」。その後、球団にも自分の意思を伝えて、9月18日に正式に引退を発表した。
「ファンの方に本当に助けられたというのを自分で感じています」「こういうふうに17年間できたのは、僕の誇りです」……。引退会見ではこらえきれずに涙も流した。通算成績は402試合、783打数200安打、打率.255、18本塁打、91打点、11盗塁。いろんな苦難を乗り越えての数字には結果以上の重みがある。怪我も含めて、もったいない出来事が何度もあったが、狩野氏は“17”年で終わった当時を思い返しながら「でも、それも僕の野球人生なんでね」と笑顔で話した。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)