落合監督を唸らせた“継続力”の原点 「もうやりたくない」野球より先に15歳で越えた壁

「無理」から猛勉強で成績アップ、掴んだ熊本工合格
やろうと思えばできるんだ。NPB通算2045安打をマークした元中日内野手の荒木雅博氏(野球評論家)は1993年、熊本県立熊本工に進学した。猛勉強で合格を勝ち取った。熊本県菊池郡の菊陽町立菊陽中軟式野球部では、俊足巧打の遊撃手として活躍したが、学業成績は当初「真ん中より下くらいで熊工は無理と言われていました」。それをひっくり返して自信がついたという。「プロ野球でやってこられたのも、そんな根性があったからです」とさえ話した。
中学時代から特に俊足で知られていた荒木氏だが、高校進学の際「来てくれという誘いは聞いていなかった」と言う。行きたい高校は熊本工だけ。「野球をやるなら熊工。1択でした。いろんなプロ野球選手を輩出していて、熊本では名の通った高校ですからね」。打撃の神様と呼ばれた川上哲治氏(元巨人)、名捕手・伊東勤氏(元西武)、天才打者・前田智徳氏(元広島)ら錚々たるOBの存在にも心を動かされての志望だった。
問題は学業成績だった。「野球に区切りがついた中学3年の夏は、真ん中よりちょっと下くらいだったと思いますが、熊工はそれでは難しい。先生からは『無理だよ』って言われていました」。そこから猛勉強を開始した。「野球が終わって暇だったし、ムチャクチャやりましたね。1日10時間くらいは……」。ただ、絶対合格する、との強い意思は持っていなかったという。
「僕はね、そういうのは持たないんです。強い意思を持って失敗したときに落ち込みがハンパないじゃないですか。だから何を決める時も目標はあまり決めないんです。(熊工)受験の時も、行けたらいいくらいな感じでやりました。絶対やらないと……って思うとやらなくなるんでね。ただ、やるんだったら、とことんやらないといけないとは思っていました」。そんな感じで毎日、勉強を続けていくうちに成績がアップしていったという。
「取り返しましたね、(成績は)かなり上までいきました。何%増しにしたかな。けっこうな増え方をしましたよ。受験する時は、もう絶対受かると思っていましたね。最後の方は模擬試験とかも楽勝だったので、これは点が取れるなってね」。無理と言われたところから数か月。自力で“評価”を変えた。熊本工合格を掴んだ。「あの時、けっこう自信がついたんですよ。俺って、やろうと思えばできるんだってね」。
父親が断っていた他校の誘い「僕に言わなかっただけ」
この経験が野球にもつながった。「ひと言でまとめるなら、僕がプロ野球選手でやってこられたのも、その根性があるからです。やると決めたら、とことんやる。続ける能力が僕にはあるのでね」。中日では、あの落合博満監督が唸るほどの練習の虫で知られた荒木氏だが、それも熊工受験勉強で身についた“継続力”があってこそ。「そうなんです。野球で覚えた“継続”じゃないんですよ」と振り返る。
「もうやりたくないと思っていた勉強を中学3年の時に継続できたから。それが訓練されて、俺、継続できるじゃんとなって、野球でも継続できるようになったんです。継続は力なりとよく言ったもので……」。その上で、当時を思い出しながら、こんなことも口にした。「中3の時、いくつか高校からの誘いがあったのかもしれません。オヤジが何か言われていたんじゃないかと思います。僕に言わなかっただけでね」。
中3の時には、父・義博さんからそんな気配も感じなかったそうだが「あとあとオヤジに聞くと、そういう話もあったようなんですよね」と笑う。そして「まぁ、でもそれでよかったんだと思います。もしもその時に高校が決まっていたら、勉強する時間もなかったでしょうしね」と付け加えた。
「オヤジには『(熊工に)行くんだったら自分で勉強して入れよ。行けなかったら近くの高校の行け』って言われていました。別に言い方も厳しくはないんですけど、なんか、そういうふうにうまく持っていかれたって感じですかね。そう言われたらやるじゃないですか。やっぱり、そういうのがまわりまわって、今に来たんでしょうね」。“やろうと思えばできる”と確信した熊工受験。そこに導いてくれた父に荒木氏は感謝している。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)