提示された1桁番号に「そりゃないよ」 嫌だった周囲の目…断れぬ“ドラ1の待遇”

元中日・荒木雅博氏【写真:木村竜也】
元中日・荒木雅博氏【写真:木村竜也】

荒木雅博氏は1995年ドラフト1位で中日入り

 1995年のドラフト1位で熊本県立熊本工から中日入りした荒木雅博氏(野球評論家)は2018年までの現役生活の間、背番号2をつけた。NPB通算2045安打、378盗塁に抜群の守備力。走攻守3拍子揃った名選手の代名詞にもなった「2」だが、入団が決まり、球団にその背番号を与えられた時には「やめてくれよって思った。最初は40番台、50番台がよかった」という。とにかく当時はドラ1として見られるのが嫌だったそうだ。

 熊本工では2年(1994年)春と3年(1995年)春に甲子園出場。将来性たっぷりの俊足、堅守、巧打の遊撃手としてプロ注目選手になった荒木氏だが、ドラフト1位指名は「想定外」だった。“1位クジ”でPL学園・福留孝介内野手、東海大相模・原俊介捕手を逃した“中日の外れの外れ1位”。抽選負けに怒り心頭の星野仙一監督がスカウトに「誰でもいいから」と言って決まったといわれるが「ドラフト1位」の肩書きは重いものだった。

「どこかから指名されるにしても4位か5位かなと思っていた。元から自分のことを1位の選手とは思っていませんでしたよ。普通、1位の選手って用具(を提供する)メーカーがつくんですけど、それもなかったし……。形だけの1位だなというのは自分でも理解していたし、それでよかったんです。だからドラフト1位みたいな扱いはマスコミにもしてほしくなかったんですけどね」。本人がそう思っても、1位は特別な選手。注目度はやはり高かった。

 ドラフト後に名古屋のテレビ局のドラゴンズ番組に1位選手として星野監督と生出演。アナウンサーが闘将に「荒木選手のどういうところがいいですか」と質問すると「俺は知らんわ! (担当スカウトの)早川に聞いてみろ!」と話したのは有名だが、荒木氏は「全然覚えていないです。テレビなんかに出てもう舞い上がっていますから。何をしゃべったかも覚えていないです。(高2の春に)初めて甲子園に出た時と同じくらい覚えていません」。

 星野監督を前にして「その日は終始固まっていたと思います。そりゃあ固まりますよね。威圧感あるなぁ、このおじさんは、ってなりましたからね。スゲーじゃん、本物も怖そうじゃんって思って舞い上がっていた部分もあると思います」と話す。珍プレー番組の乱闘シーンなどでの強面イメージが植え付けられていたのだから無理はない。「でも優しい笑顔も見せてくださるんで、あとで落ち着きはしましたよね。ずっとあんな感じかと思っていたんでね」。

用意された背番号「2」は「最初からはやめてほしかったなぁ」

 とはいえ、そんな監督からの“評価”ははっきりしていても、ドラフト1位として周囲から常に見られる立場に変わりはない。マスコミのマークも強まっていくばかりだった。「いや違うんだって。全然、他の(球団の)1位とは違うんだって。用具メーカーもついていないんですよ、その辺もちゃんとわかってよって、思っていたんですけどね」。球団から背番号2を与えられた時も、断れなかったものの、心の中では「やめてくれよって思いましたよ」と明かす。

「俺クラスで1桁なんて……。ホント、嫌でしたね。だって、1桁ってレギュラークラスがつけるものだと思っているし、そりゃないよと思って……。最初から2番はやめてほしかったなぁ。40番台、50番台がよかったですよ」。中日の背番号2は1995年まで矢野輝弘捕手(1990年ドラフト2位、東北福祉大)が入団1年目からつけていた。それが、荒木氏のプロ入りと同時に矢野は「38番」に変更となった。

「(1996年は)星野さんが(中日監督として)2回目の最初の年だったし、矢野さんとか背番号もいろいろシャッフルしたかったんじゃないですかね」と荒木氏は振り返りながら「でも、最初、行きづらかったですよ。2番をつけて、矢野さんのところには……。僕じゃないですよ、決めたのは、って思いながらね」と明かす。「でも、すごくかわいがってもらいました。いまだに『お前は俺から番号をとった』って言われますけどね」。

 中日入団後の荒木氏のニックネームは「トラ」。当時タレントでバラエティ番組などにもよく出ていた荒木定虎の「虎」からついたものとされる。「それは矢野さんと今の中日監督の井上(一樹)さんと3人でいるときに、そういう話になって“トラ”になったんです。“荒木”が一緒だったからです。矢野さんと井上さんの発想力は豊かですからね」。それがチームにも広まっていったわけだが、これとて“背番号2”による矢野との縁があったからかもしれない。

 荒木氏は“ドラフト1位の圧力”とも闘いながら、下積み時代を過ごし、練習の積み重ねによって力をつけ、背番号2のまま現役生活を“完走”した。「ホント、不思議っすよねぇ。最初は嫌だったけど最後になってくると(ずっとつけることができて)ありがたかったですよね」。“中日の背番号2と言えば荒木”。そんなイメージも定着させたほどの結果を残したが、それは、嫌で嫌でたまらなかった“つけはじめ”の時期を乗り越えてのことでもあったわけだ。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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