「謝るくらいなら、書くな」…忘れられない真顔と目力 大切な“時間をかけて深くなるもの”…思い出す歯ブラシと時計|私だけが知っている松井秀喜#1
ヤンキース時代の松井秀喜氏【写真:アフロ】別れの場で別れを告げず…長嶋茂雄氏への言葉で蘇った取材の記憶
ヤンキースの主軸として、松井秀喜がメジャーの舞台で戦っていた日々。その姿を、すぐそばで追い続けていたのが番記者たちだった。記者たちの取材ノートには、松井が残した言葉や、ふと見せた素顔のようなものが今も書き留められている。「不動心」とも言われた松井の静かな姿の裏に何があったのか、当時の担当記者がそれぞれのノートを見返しながら、現場の記憶をたどっていく。松井秀喜という一人の野球人が歩んだ時間を、あらためて見つめ直す。(敬称略)
かつて長嶋茂雄が守らせた守備位置、東京ドームのセンターに、松井秀喜は立っていた。2025年11月21日「長嶋茂雄 お別れの会」。マイクの前に立ち、恩師の遺影に向かってこう言った。
「この期に及んでまだお願いがあります。私の心の中に入り込み、私との対話に付き合ってくださればうれしいです。私は自分の心の中の長嶋茂雄と話し合いながら、私なりの道を進んでまいります」
「ミスタージャイアンツ 長嶋茂雄 お別れの会」に出席した松井秀喜氏【写真:小林靖】別れの場で、別れを告げなかった。それは強がりでも、悲しみでもない。心の中で師と対話しながら前へ進むという覚悟に見えた。私はその言葉を聞いたとき、ひとつのことを思った。松井が長く大切にしてきたものは“時間をかけて深くなるもの”。2008年から2010年、記者として松井の近くにいた3年間が、ゆっくりと蘇った。
ニューヨークを愛し、ニューヨークに愛され続けている
その年の秋、歴史を刻むことになる2009年のシーズン。松井のチーム内での扱いは決して良い方ではなかった。調子が上向いても、本塁打を放った翌日にスタメンを外されることがあった。「悔しいですよね……」と松井に聞いたことがある。紙コップに入ったコーヒーを飲みながら、落ち着いたトーンで言葉は返ってきた。
「巨人、ヤンキースという存在を一個人が超えることはないんだよ。自分主導で物事を考えたりはしないよ」
苛立ちを押し殺すのではなく、次に自分が何をすべきかへと静かに切り替え、出番のために準備を重ねながら、時を刻むように待ち続けた。
座右の銘でもある「不動心」を体現していた男が、ポストシーズンでその力を発揮した。フィリーズとのワールドシリーズ第2戦で新人時代から苦戦していたペドロ・マルティネスから本塁打。敵地では代打で本塁打。第6戦は4打数3安打1本塁打、シリーズタイ記録の6打点でヤンキースを27度目の世界一に導いた。シリーズ通算打率.615、8打点はチーム最多。MVPは当然の結果だった。定位置すら保証されない逆境が、あの6戦目の打席に全てが詰まっていた。記者席から身を乗り出し、その打球を目で追った。手のひらから汗が出たのを鮮明に覚えている。
MVPを獲得したヒーローインタビューで、松井は日本語で答えた。「僕はニューヨークが好きだし、ヤンキースが好きだし、チームメートが好き。ここのファンが大好きです」。オフにFAとなり、契約延長はなく名門球団を去ることになったが、松井にとってニューヨークは、7年という時間をかけて深く愛するようになった街だった。
2009年のワールドシリーズでMVPに選ばれ、トロフィーを掲げるヤンキースの松井秀喜【写真提供:産経新聞社】 ワールドシリーズ優勝の翌日のこと。松井は所用でマンハッタンのホテルを訪れた。正面の出口から出ると、走り抜ける車の窓から松井を見つけた男性ファンが叫んでいた。「HIDEKI MATSUI! MVP!」。アメリカでは街で有名人を見かけてもプライベートを尊重するのが暗黙のルールだ。しかし、あの日だけは違った。松井は笑顔で手を上げて応えた。愛した街は、同じだけ愛を返してくれた。2026年の今もニューヨークに住み続け、ポストシーズンのたびにヤンキースの始球式に呼ばれ、大歓声を浴びる。一つの街を深く愛し、愛され続けている選手の一人だ。
松井の「時間をかけて深く」という感覚は、街への愛情に限った話ではなかった。失礼ながら、雑談の中で「松井さんが“お金をかけたいな”って思うものって何ですか」と聞いたことがあった。外野グラブの手入れをしながら、しばらく考えてから答えてくれた。
「長く使い続けられるもの、かな」。
その言葉の意味を、私は後になって二度、実感することになる。
2009年のワールドシリーズ前に取材対応する松井(右)。右から2人目の記者が筆者【写真:アフロ】真顔で“怒られた”あの朝のことを今も忘れない
(楢崎豊 / Yutaka Narasaki)

