「謝るくらいなら、書くな」…忘れられない真顔と目力 大切な“時間をかけて深くなるもの”…思い出す歯ブラシと時計|私だけが知っている松井秀喜#1

ヤンキース時代の松井秀喜氏【写真:アフロ】ヤンキース時代の松井秀喜氏【写真:アフロ】

別れの場で別れを告げず…長嶋茂雄氏への言葉で蘇った取材の記憶

 ヤンキースの主軸として、松井秀喜がメジャーの舞台で戦っていた日々。その姿を、すぐそばで追い続けていたのが番記者たちだった。記者たちの取材ノートには、松井が残した言葉や、ふと見せた素顔のようなものが今も書き留められている。「不動心」とも言われた松井の静かな姿の裏に何があったのか、当時の担当記者がそれぞれのノートを見返しながら、現場の記憶をたどっていく。松井秀喜という一人の野球人が歩んだ時間を、あらためて見つめ直す。(敬称略)

楢崎豊
著者:楢崎 豊
ならさき・ゆたか
松井秀喜取材担当:2008〜2010年
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2002年に報知新聞社に記者職で入社。サッカー、芸能担当を経て、2004年12月より野球担当。2015年まで巨人、横浜(現在DeNA)のNPB、ヤンキース、エンゼルスなどMLBを担当。2015年からは高校野球や読売巨人軍の雑誌編集者。2019年1月に退社。同年2月から5つのデジタルメディアを運営するCreative2に入社。野球メディア「Full-Count」編集長を2023年11月まで務める。現在はCreative2野球事業ディレクターなどを務める。

 かつて長嶋茂雄が守らせた守備位置、東京ドームのセンターに、松井秀喜は立っていた。2025年11月21日「長嶋茂雄 お別れの会」。マイクの前に立ち、恩師の遺影に向かってこう言った。

「この期に及んでまだお願いがあります。私の心の中に入り込み、私との対話に付き合ってくださればうれしいです。私は自分の心の中の長嶋茂雄と話し合いながら、私なりの道を進んでまいります」

「ミスタージャイアンツ 長嶋茂雄 お別れの会」に出席した松井秀喜氏【写真:小林靖】「ミスタージャイアンツ 長嶋茂雄 お別れの会」に出席した松井秀喜氏【写真:小林靖】

 別れの場で、別れを告げなかった。それは強がりでも、悲しみでもない。心の中で師と対話しながら前へ進むという覚悟に見えた。私はその言葉を聞いたとき、ひとつのことを思った。松井が長く大切にしてきたものは“時間をかけて深くなるもの”。2008年から2010年、記者として松井の近くにいた3年間が、ゆっくりと蘇った。

ニューヨークを愛し、ニューヨークに愛され続けている

 その年の秋、歴史を刻むことになる2009年のシーズン。松井のチーム内での扱いは決して良い方ではなかった。調子が上向いても、本塁打を放った翌日にスタメンを外されることがあった。「悔しいですよね……」と松井に聞いたことがある。紙コップに入ったコーヒーを飲みながら、落ち着いたトーンで言葉は返ってきた。

「巨人、ヤンキースという存在を一個人が超えることはないんだよ。自分主導で物事を考えたりはしないよ」

 苛立ちを押し殺すのではなく、次に自分が何をすべきかへと静かに切り替え、出番のために準備を重ねながら、時を刻むように待ち続けた。

 座右の銘でもある「不動心」を体現していた男が、ポストシーズンでその力を発揮した。フィリーズとのワールドシリーズ第2戦で新人時代から苦戦していたペドロ・マルティネスから本塁打。敵地では代打で本塁打。第6戦は4打数3安打1本塁打、シリーズタイ記録の6打点でヤンキースを27度目の世界一に導いた。シリーズ通算打率.615、8打点はチーム最多。MVPは当然の結果だった。定位置すら保証されない逆境が、あの6戦目の打席に全てが詰まっていた。記者席から身を乗り出し、その打球を目で追った。手のひらから汗が出たのを鮮明に覚えている。

 MVPを獲得したヒーローインタビューで、松井は日本語で答えた。「僕はニューヨークが好きだし、ヤンキースが好きだし、チームメートが好き。ここのファンが大好きです」。オフにFAとなり、契約延長はなく名門球団を去ることになったが、松井にとってニューヨークは、7年という時間をかけて深く愛するようになった街だった。

2009年のワールドシリーズでMVPに選ばれ、トロフィーを掲げるヤンキースの松井秀喜【写真提供:産経新聞社】2009年のワールドシリーズでMVPに選ばれ、トロフィーを掲げるヤンキースの松井秀喜【写真提供:産経新聞社】

 ワールドシリーズ優勝の翌日のこと。松井は所用でマンハッタンのホテルを訪れた。正面の出口から出ると、走り抜ける車の窓から松井を見つけた男性ファンが叫んでいた。「HIDEKI MATSUI! MVP!」。アメリカでは街で有名人を見かけてもプライベートを尊重するのが暗黙のルールだ。しかし、あの日だけは違った。松井は笑顔で手を上げて応えた。愛した街は、同じだけ愛を返してくれた。2026年の今もニューヨークに住み続け、ポストシーズンのたびにヤンキースの始球式に呼ばれ、大歓声を浴びる。一つの街を深く愛し、愛され続けている選手の一人だ。
 
 松井の「時間をかけて深く」という感覚は、街への愛情に限った話ではなかった。失礼ながら、雑談の中で「松井さんが“お金をかけたいな”って思うものって何ですか」と聞いたことがあった。外野グラブの手入れをしながら、しばらく考えてから答えてくれた。

「長く使い続けられるもの、かな」。

 その言葉の意味を、私は後になって二度、実感することになる。

 一度目は歯ブラシだった。2009年シーズン中、遠征地での試合前、ロッカールームで声をかけられた。「悪い、ちょっと歯ブラシ買ってきてくれない?」。私はコンビニで買って渡した。その翌年、同じ遠征先で「そういえば、ここで頼まれて、歯ブラシ買いに行きましたね……」。そんな話を向けたら、松井から「あ、それ持っているな」。なんと、カバンから出てきた。2シーズンにわたって使い続けているという。年間10億円超の男が、コンビニの歯ブラシを……。“まだ使えるから”と顔には書いてあった。

2009年のワールドシリーズ前に取材対応する松井(右)。右から2人目の記者が筆者【写真:アフロ】2009年のワールドシリーズ前に取材対応する松井(右)。右から2人目の記者が筆者【写真:アフロ】

 二度目は時計だった。エンゼルス時代のある試合前、ロッカーで松井の左腕に目が止まった。時計の針が、現時刻よりだいぶ遅れていた。電池が切れていると思い伝えると、即座に返ってきた。「電池? これ、手巻きの時計なんだよ。お前、そういうの知らないだろ」。お前は安い時計しか知らないだろうと言わんばかりに、少し呆れたような顔で笑われた。

 腑に落ちた。歯ブラシも、街も、人間関係も、全部同じ話だった。手巻き時計は、無数の小さな部品が一つの狂いもなく動いて、初めて時を刻む。歯車が一つ欠けても、針は止まる。野球チームもそう。かつてヤンキース時代に「個人がチームを超えることはない」と静かに言い切った言葉が結びつく。自分もまたチームという時計の一つの部品として動き続ける。それを誇りとも義務とも思わず、ただ当然のこととして受け入れていた。

真顔で“怒られた”あの朝のことを今も忘れない

 そしてその感覚は、記者との関係においても同じだったのかもしれない。部品が一つ狂えば、時計は止まる。松井にとって、信頼もまたそういうものだったのだと思う。
 
 一度だけ、今まで見たことのない真顔で指摘を受けたことがある。2010年シーズン限りでエンゼルスは松井と契約延長をしないだろうという内容の記事を、シーズン中に大々的に出した翌朝のことだ。本人がギリギリの戦いをしていた時期だった。その報道が松井の耳に届いたことがわかり、いてもたってもいられなくなった私は、試合前の松井の元へ出向いた。

「ご迷惑をかけているようだったら、すみません」。そう伝えると、怒りをぶつけるわけでもなく、松井は私を見た。そしてこう言った。

「謝るくらいなら、書くな」。

 ただ目力だけが強かった。
 
 松井はメディアを大切に扱ってくれる人だった。数年おきに番記者が代わっていくが、名前をほとんど覚えていて、コミュニケーションを積極的にとってくれる選手だった。その先にファンがいることを忘れず、リップサービスも惜しまない。それだけに、その一言は重かった。信頼という部品が欠けたまま回り続ける関係を望まなかったのだと思う。

ベンチに腰をかけるエンゼルス時代の松井秀喜氏【写真:アフロ】ベンチに腰をかけるエンゼルス時代の松井秀喜氏【写真:アフロ】

 翌日以降はこれまでと変わらず、普通の顔で接してくれた。修理が済んだ時計のように、また静かに動き始めた。そして、少し飛ばし気味だったあの記事は、その通りとなったが、それも心のどこかでそうなる結末を分かっていたんだろうなと今は思う。
 
 現役を退いた今、松井はヤンキースのGM付特別アドバイザーとしてマイナーリーグの球場を渡り歩いている。選手が「これだ」という感覚をつかむまで根気強く寄り添い、結果が出たとき、なぜ出たのかを選手自身が説明できるまで見届ける。

 2015年、当時まだマイナーにいたアーロン・ジャッジにも同じように向き合った。桁外れのパワーを持ちながら選球眼が粗かった若者に、打席の中で何を感じどう体を動かすかを伝え続けた。手巻きの時計と同じだ。時間をかけて、丁寧に、一緒に巻き続ける。

 思えば松井自身も、そうやって育てられた一人だった。長嶋茂雄という師のもとで、時間をかけて深くなっていった。だから東京ドームのセンターで、師との対話を終わらせなかったのだと思う。松井秀喜が大切にしてきたものは、いつも時間とともに深くなるものだった。歯ブラシも、時計も、ニューヨークも、若い選手たちとの時間も、そして長嶋茂雄との絆も。それは死によって止まる時計ではなかった。ネジを巻く手は、今日も止まっていない。

※次回#2は、4/2(木)に公開予定です。

(楢崎豊 / Yutaka Narasaki)

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