叶わなかった“もう1年”…覚悟していた戦力外 侍捕手の影響で知った残酷な現実「勝てない」

元ヤクルトの西田氏が語る、正捕手・中村悠平の凄み
2024年限りで現役を引退した西田明央氏が、今季から台湾プロ野球(CPBL)の中信兄弟で打撃戦略コーチに就任し、指導者として新たな一歩を踏み出した。北照高(北海道)から2010年ドラフト3位でヤクルトに入団。14年間チーム一筋でプレーし、通算310試合に出場し、打率.211、17本塁打、65打点の成績を残した。台湾での挑戦が始まった今、これまでのプロ野球人生を振り返った。
ヤクルトには、2023年、2026年のWBC日本代表にも選ばれた正捕手・中村悠平がいた。その存在と向き合いながら、どう自分の価値を示していくか――。西田氏のプロ野球人生は、その問いと向き合い続けた14年間でもあった。
「自分の役割って何だろうっていうのを、すごく考えてやってきました。自分が生きていくためには、どこの隙間に入っていけるかな。ここならチャンスあるな。っていうのをずっと探していました」
正面からぶつかるのではなく、違いを見出すことに活路を求めた。差別化を図るためには、中村の配球やしぐさを把握する必要がある。その一挙手一投足を徹底的に目に焼き付けた。一方、一塁手として出場する際には、打撃でも結果を求められた。「上手くいったことはないですよ」と苦笑いを浮かべるが、「生きていくために、ひたすら練習を頑張っていた」と振り返る言葉に、当時の必死さがにじむ。
それでも、日本を代表する捕手の壁は高かった。「がむしゃらにレギュラーを狙っていた時期もありましたけど、同じ土俵で勝負しても勝てないなって。自分のポテンシャルでは難しいと、年数を重ねるごとに分かってきました」。現実と向き合いながら、自身の立ち位置を模索し続けた。
2024年オフに戦力外通告を受けた際は、「いずれ来るかなと思っていた」と冷静に受け止めた。「オファーがあれば続けたかったですけど、なければきっぱりやめようと考えていました。もう1年いけるかなという思いもあったんですけどね」と、率直な胸の内を明かす。

母校の北照高で直面した指導することの難しさ
引退後は母校の北照高でテクニカルアドバイザーを務めた。「自分の武器は野球。それを次の人生にどう生かしていくかを考えて、まずはやってみようと思いました」。指導者としての第一歩を踏み出す中で、伝える難しさにも直面した。
「同じことを言っても、選手たちの捉え方が全然違うので、言い方を変えながら、考えて取り組んでいました」と、母校の後輩たちを相手に試行錯誤の日々を送った。
今年から活躍の場を台湾へと移した。西田氏は「こっちに来て、さらに難しくなりました。やっぱり言葉の壁はすごく感じていますけど、慣れていくかなと思っています」と前を向く。
現役時代は「できないことばかりだった」と振り返る。それでも、その経験は今後に生きると考えている。「上手くいかない選手の気持ちは分かると思うので、そういうところもサポートができたらいいかなと思っています」。もがき続けた14年。その経験を胸に、西田氏は異国の地で新たなスタートを切った。
(篠崎有理枝 / Yurie Shinozaki)