NPBでの9年は「苦しい時間が圧倒的に長かった」 社会人で見つけた原風景…武田健吾が「ふと思い出す」オリ時代の恩師の言葉

「今、野球がめっちゃ楽しいですね」と語る三菱重工Eastの武田健吾【写真:荒川祐史】「今、野球がめっちゃ楽しいですね」と語る三菱重工Eastの武田健吾【写真:荒川祐史】

オリックス、中日でプロ9年、三菱重工Eastで社会人として再スタート

 社会人野球の三菱重工Eastで5年目を迎える武田健吾外野手は「今、野球がめっちゃ楽しいですね」と、はみ出しそうな大きな笑みを浮かべる。今年で32歳。ここに至るまでは「いろいろありましたね」と笑うが、本当にいろいろあった。

 ご存知のとおり、武田は元プロ選手だ。福岡・自由ケ丘高から2012年ドラフト4位でオリックス入りし、2019年途中に中日へトレード移籍。通算9シーズンに渡るプロ生活を経た後、社会人野球に新天地を求めた。

 中学時代はU-15代表としてAA世界野球選手権大会(現U-15ワールドカップ)、プロ入り後も2014年にはU-21代表として第1回IBAF 21Uワールドカップで準優勝、2016年にはU-23代表として第1回WBSC U-23ワールドカップ(U-23W杯)で優勝を飾った。U-23W杯では外野手としてベストナインを受賞する活躍を見せ、オリックスでもその翌年、プロ5年目の2017年に1軍に定着。出場97試合で打率.295、2本塁打、14打点の成績を残している。

 こうまとめると、順風満帆な野球人生を歩んでいるように見えるが、プロ入り後は結果が出ずに苦しい日々が続いたという。

「バッティングが全然上手くいかなくて、結果も出ない。ここが違うのかな、あそこを直せばいいのかな、と日々どこかを変えながら打席に立っていました」

 プロ入りした2013年に1軍デビューを果たしたものの、4年目を終えて1軍通算出場は26試合。通算安打も6本止まりだった。「クビじゃないかな……」と思い悩んでいると、当時の田口壮2軍監督から「バットを短く持って打ってみろ。何かを変えていったらどうだ」とアドバイスを受けた。

オリックス時代の武田健吾【写真:荒川祐史】オリックス時代の武田健吾【写真:荒川祐史】

 正直言うと好きなスタイルではなかったが、背に腹は代えられない。新たなフォームを体に覚えさせようとバットを振り込んでいると、U-23代表選出の知らせが届いた。「なんで選ばれたのか」と驚きはしたが、千載一遇のチャンス到来だ。大会では「1番・中堅」で全戦スタメン出場し、打率.455、1本塁打、10打点と大活躍。「きっかけと自信を掴んで、そのまま次のシーズンに行けた。ターニングポイントになった大会でした」と振り返る。

打撃に悩み、迷い込んだ袋小路「とにかく辛かったんですよね」

 前述の通り、2017年はキャリアハイを記録する充実したシーズンとなったが、2018年は少し風向きが変わった。熾烈な外野のポジション争いに勝ち残らなければならなかった。外野3枠のうち、2枠は吉田正尚(現レッドソックス)とステフェン・ロメロで決まり。残る1枠を、この年に大ブレークした宗佑磨らと争った。

「結果を出さないと」と焦る気持ちから、無意識に自分を追い込んでいたのだろう。再び打撃フォームが定まらない、迷いの日々が始まった。この時ばかりは、人の良さも裏目に出た。「皆さん、僕を何とか助けたいと思ってくださり、いろいろな方からいろいろなアドバイスをいただきました。ただ、それを全部聞いてしまった僕もいるんです」。あれやこれやと試すうちに、気が付けば「もう何をどうすればいいのか、わからなくなってしまって」と袋小路に迷い込んだ。

 2019年シーズン途中に中日へトレードされ、新天地で再起を図ろうとしたが、打撃は迷路にはまったまま。

「本当にしんどくて。何をやっても結果が出ず、どうしたらいいのかわからない。『また試合に出ても打てないんだろうな……』と、プロの時はずっとマイナス思考が続いていました。苦しい時間の方が圧倒的に長かったので」

 何度も「辞めたい」と思い詰め、大好きだった野球もいつしか嫌いになっていた。なんで野球をしているんだろう……? 2021年は開幕からシーズン終了まで1軍にフル登録されたが、「とにかく辛かったんですよね」と素直な気持ちを吐露する。

中日戦力外後は「正直、野球はもう辞めようと思っていました」【写真:荒川祐史】中日戦力外後は「正直、野球はもう辞めようと思っていました」【写真:荒川祐史】

社会人野球で再スタート、鈴木誠也らの動画を参考に作り直した打撃フォーム

 シーズン終了後に戦力外通告を受け、12球団合同トライアウトにも参加したが、「正直、野球はもう辞めようと思っていました」。だが、捨てる神あれば拾う神あり。縁あって、社会人野球の三菱重工Eastから声が掛かった。プロから社会人へと大きく環境が変わり、何よりも家族が応援してくれる。「もう一回、イチから頑張ろう」。野球から離れかけていた心を引き戻し、奮い立たせた。

 再スタートを切るにあたり、「元プロ」のプライドは捨てた。社会人野球の選手として、もう一度キャリアを積み上げる。そう決心した時、佐伯功監督から「お前はもう何も気にせず、思い切りやるだけやから」と声を掛けられた。新たな挑戦に臨む自分をしっかり受け止め、背中を押してくれた一言がうれしかった。

 まず取り掛かったのは、最大の課題でもある打撃フォームの再建だ。誰に頼るでもなく、自分で自分をしっかり見つめ直すことにした。「歩幅もそうですし、構え方、バットの軌道……。右の好打者の動画をいっぱい見て、参考にしました。誠也もその一人ですね」。カブスの鈴木誠也外野手とは1994年生まれの同い年で、U-21代表ではチームメートだった。同じ右打ちの外野手として、U-21代表当時から学ぶことが多かったという。

 そして迎えた社会人として初めての大会、JABA四国大会では打率.444をマークし、首位打者を獲得。ENEOSの補強選手として出場した7月の都市対抗野球では、打線の中軸を任され、優勝に大きく貢献した。その後も都市対抗野球では、三菱重工Eastとして2023年にベスト8入りすると、2024年には悲願の初優勝を達成。「最後のアウトは僕のグラブで掴んだフライだった。何度でも味わいたい、最高の気分でしたね」と目を輝かせる。

社会人野球に魅了される今「『大人の甲子園』みたいな感じが、僕は大好きですね」【写真:荒川祐史】社会人野球に魅了される今「『大人の甲子園』みたいな感じが、僕は大好きですね」【写真:荒川祐史】

折に触れて思い出す、田口2軍監督とのエピソード「今でもすごく心に残っている」

 今では三菱重工Eastの赤のピンストライプが、すっかり板についている。トーナメントが主流の社会人で、長いリーグ戦を戦うプロとは違った野球の側面に触れ、その面白さに魅了されている。

「プロ野球とはまた違った1球、1プレーの重みがあるんですよね。その1球、その1プレーで都市対抗に出られなくなるかもしれない。本当に『大人の甲子園』みたいな感じが、僕は大好きですね」

 その気持ちは、日頃のプレーに表れている。30歳を超えてベテランと呼ばれる立場になっても、チームで掲げる「全力疾走」は誰にも負けない。「ベテランだろうが、チームの勝利を第一に考えてプレーすることは変わらない。そこは言葉だけじゃなくて姿勢で見せることで、若い選手にもメッセージとして届くと思うんです」。そう話す姿からは、すっかり迷いは消えているようだ。

 そこで聞いてみた。「今、野球が楽しいですか?」

「めっちゃ楽しいですね(笑)。三菱重工Eastに来てからずっと使ってもらって、結果も出ている方なので、それもあると思います。でも、やっぱりこの気持ちは忘れちゃいけないと、折に触れて思い出すことがあるんです」

 打撃に悩み、野球が嫌いになりかけていたオリックス時代。その胸の内が見てとれたのだろう。恩師から言葉を掛けられた。

「バッティング練習に入る時、田口さんに言われたんです。小中学生の頃、親にバッティングセンターへ連れていってもらった時は何か考えながら打席に立っていたか? 『よっしゃ、打つぞ!』しか思わんかったやろ。その気持ちが絶対に大事。考えすぎずに、まずは野球を楽しめよって。今でもすごく心に残っていて、ふと思い出すんですよね」

 紆余曲折あったが、もがき苦しんだ日々を経験したからこそ、今、心の底から言える。

「野球ってホント楽しいですよね!」

(佐藤直子 / Naoko Sato)

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