エース人生も「投手辞めます」 内野手転向も怪我で「はいクビ」、元中日名手の“始まり”|球界群像 豊田誠佑#2
元中日・豊田誠佑氏【写真:山口真司】元中日の豊田氏が振り返る日大三高時代、1年夏に野手転向を決断
“江川キラー”の異名を持つ元中日の豊田誠佑氏(名古屋市中川区・居酒屋「おちょうしもん」経営)は、1972年に日大三高へ進学した。同年春にセンバツ準優勝を果たした強豪校に入ることが「甲子園への近道」と考えて選んだ。エースとして活躍した練馬区立開進第一中時代と同様、当初は高校でも投手だったが、1年夏の大会後、新チームになった頃に野手転向。自ら「ピッチャー、辞めます」と申告したという。
高校進学後、豊田氏は練馬区の自宅から通学した。「合宿所にそんなに多くは入れない。レギュラークラスは入らなきゃ駄目なんですけどね。僕が入ったのは2年の夏前。それまでは家から(当時)学校があった赤坂まで通いました。(授業が)終わったら(グラウンドがある)調布へ。学校から(最寄り駅の)赤坂見附までは強烈ダッシュですよ。何時何分の電車に乗るのが決まっていたんでね。新宿で京王線に乗り換える時もそう。電車のドアが開いたらダッシュでした」。
入学時に同期は多かった。「100人くらいはいましたね。でもランニングばっかりだもん。厳しい、厳しい。最後まで残ったのは20人くらいかな。あとは……。まぁ、休みもないし、野球が好きじゃなかったら続かなかった。僕も辞めたいとしょっちゅう思いましたよ。同じ年代の子が女の子と歩いていたりしたら“あーやだな野球”ってね(笑)」。それでも、豊田氏は辞めなかった。
1年秋は遊撃手として活躍、2年からは外野手
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)
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