八王子実践・河本ロバート監督が体感した「日米の違い」
激戦区・西東京に旋風を巻き起こす異色の監督がいる。八王子実践の河本ロバート監督だ。NPBの誘いを断り、ドジャースとマイナー契約を結んだ経歴を持つ。アメリカで学んだ個の力と自主性に、日本野球の組織力を掛け合わせた”日米融合”の指導が、チームに新たな風を吹き込んでいる。昨夏の第107回全国高校野球選手権西東京大会では、22年ぶりとなるベスト8進出を果たすなど、その手腕は確かな結果となって表れ始めている。
河本ロバート監督は、高校時代に最速145キロを記録する”規格外の地肩”が評価され、名門・亜細亜大学へ進学。「エリートたちの中で揉まれるのは本当に大変でした」と振り返るが、極めて厳しい環境下で日本の野球における組織力や礼儀作法を、身をもって感じた。
大学卒業後、河本ロバート監督が選んだのは海を渡ることだった。NPBの数球団からも声はかかっていたが、メジャーリーグという揺るぎない夢があり、ドジャースとのマイナー契約を決断する。
しかし、実際に飛び込んだマイナーリーグの現実は過酷なものだった。華やかなメジャーの舞台とは裏腹に、給料はごくわずか。「食事は1ドルのダブルチーズバーガーでなんとかタンパク質を補給する毎日でした」。追い打ちをかけたのが環境と競争の厳しさだ。長時間のバス移動で体を痛めつけられながら、結果が出なければ即座に解雇されるシビアな生存競争が続いた。
アメリカでの経験を通じて肌で感じたのは、日米の野球観の根本的な違いだった。日本では、指導者が手取り足取りフォームや戦術を教え込み、厳しさをもって組織を束ねる。しかしアメリカは違った。
「アメリカでは手取り足取り教えることはありません。ずっと見守っていて、こっちから聞きに行くと『俺はこう思うけど、お前はどう?これをやってみて心地いいか?』と選択肢をコーチから投げかけてくる。自分が『こう思っている』と言葉にして伝えないと、何も返ってこない」とあくまでも自主性を大事にしていた。
目指す理想像はドジャース・大谷翔平
29歳で現役を引退し、母校のコーチを経て監督に就任。河本ロバート監督は、”日米融合”をグラウンドで実践している。単なる放任ではない。
「基本、自主性・主体性に興味を示す子って、あんまり厳しく色々言われるのが嫌だとか、自分のやりたいようにやりたい子が正直入ってくることもあります。そういう子たちが多いと悪い方向に引っ張られるので、自分はそういう時にちょっと日本寄りな感じにして」と語る。
グラウンドを借りる際の感謝の気持ちなどが欠けていれば「『叱る』という手段」もためらわない。「ベースとしては、日本のいいところ、アメリカのいいところを理想として掲げながら、年代に応じて日本式と自主性のバランスを取りつつ、軸がぶれないよう意識している」とバランスを調整している。
大学時代に培った挨拶や規律を重んじた組織的な練習を取り入れる一方で、アメリカ式のメンタルコントロールやコミュニケーションを徹底している。
「理想なのは、相手のナイスプレーがあったらベンチから絶対相手を褒めようって言っていて、海外でも、敵チームでも良いプレーがあったら、スタンディングオベーションもあるじゃないですか。相手がいいプレーしたらその時は褒めよう」と普段から伝えている。
生徒たちに目指してほしい理想像は、ドジャース・大谷翔平投手だ。「大谷選手みたいになってもらいたいって本気で思っています。人に対する気遣いや配慮ができて、凄く良い顔で野球をやって、人前でも堂々と自分を表現できる、自分の上司にも意見や提案もしっかりできるところなど、人として成長してもらいたいと思った時に、大谷選手がまさにその教科書のような生き方を体現しているからです」。河本ロバート監督自身はドジャースでも活躍した斎藤隆氏をリスペクトする。「自分の今の生き方や指導の指針になっている方なんです」と大きな影響を受けたという。夢や目標を実現した人の言動は説得力と価値がある。斎藤氏に薫陶を受けた指揮官が、今度は生徒たちの背中を押す番だ。
野球の技術だけでなく、社会に出ても堂々と意見を言える自立した人間を育てる。日米の長所を知り尽くした河本ロバート監督の情熱は、グラウンドの枠を越え、生徒たちの人生における確かな土台となっていくはずだ。
(岡部直樹 / Naoki Okabe)