「今年も終わったな」巨人エースに絶望も…“大仕事”で一変 頭にチラついた「1万円」

元中日・豊田氏が振り返る、逆転優勝につながった“江川撃ち”
語り継がれる安打の裏には……。元中日外野手の豊田誠佑氏(名古屋市中川区・居酒屋「おちょうしもん」経営)は、明大時代から江川卓投手(法政大→巨人)キラーとして知られた。プロ入り後、もっとも有名な“江川からの一打”は、1982年9月28日の巨人戦(ナゴヤ球場)、4点を追う9回無死から飛び出した代打左前打だ。これをきっかけに中日は逆転優勝に突き進んだと言われるが、当の本人は一塁まで走りながら“別の喜び”に浸っていたという。
プロ4年目の豊田氏は、レギュラー中堅手の座を手に入れかけながら、3月のオープン戦で右手首に死球を受けて骨折。離脱している間に1歳年上の平野謙外野手にポジションを奪われた。怪我が完治しないまま復帰したが、もはや立場は逆転されており、開幕は代打、守備要員としてスタートした。それどころか、無理がたたって、右肩痛も発症してしまった。
この状況で「痛い」とは言えず、痛みをこらえながらプレーを続けた。6月にスタメン起用された13日の大洋戦(札幌円山)では7打数無安打。中日打線が25安打を放ち、19-5で大勝したが蚊帳の外だった。「あれはホントつらかった。もう全然バットも振れなくて、どうしようもなくて……。代えてくれればいいのにさ(笑)。あの時、俺、泣きたくなりましたよ」。その後は再び代打起用が中心になった。
そんなシーズンで、豊田氏が脚光を浴びたのが9月28日の巨人戦だ。首位攻防3連戦の初戦で、試合前時点で中日は首位・巨人と2.5ゲーム差の2位。1戦目に勝てば、残り試合数の関係で、中日に2位のままマジック12が出る大事なゲームだった。巨人はエース・江川を先発させての必勝態勢。中日は三沢淳投手が先発したが、初回に原辰徳内野手に先制3ランを許すなど、常に追いかける展開となり、9回表を終わって2-6と敗色濃厚だった。
4点を追う9回裏。完投勝利目前の江川に対して、中日・近藤貞雄監督は、ここまで無安打だった先頭の平野に「代打・豊田」を告げた。明大時代から“江川キラー”の豊田氏は、江川先発試合ではスタメン起用も多かったが、この日はベンチスタートで土壇場での出番となった。結果的に左前打を放ったわけだが「2-6でしょ。江川さんでしょ。逆転なんて考えられなかったんですよ。もう今日は駄目だ。今年も終わったな、なんて思っていましたよ」と話す。
代打安打が口火となり4点差を追いつくと、延長10回にサヨナラ打
「それよりね、スポンサーの永田や仏壇店から当時、代打ヒット賞1万円っていうのがあったんですよ。で、打った瞬間“ヨッシャー、1万円、1万円、よし、よし”って考えながら、走っていました」と笑いながら明かした。豊田氏の代打安打が口火となって、中日打線は江川に襲いかかった。ケン・モッカ内野手、谷沢健一内野手の連打で無死満塁。大島康徳外野手の中犠飛、宇野勝内野手の左適時二塁打、中尾孝義捕手の右前2点適時打で6-6の同点に追いついたのだ。
「どんどんつながって、同点になっちゃって、ウワーってなって、(延長)10回に大島さんが(巨人2番手の)角(三男)からサヨナラ打だもんねぇ」。中日はこの大逆転勝利で勢いづくと、シーズン最終戦の10月18日の大洋戦(横浜)に8-0で勝ち、8年ぶりのリーグ優勝を成し遂げた。大洋・長崎啓二外野手と首位打者を争う田尾安志外野手が、5四球と勝負を避けられてタイトルを逃した試合でもあったが、小松辰雄投手が2安打完封で優勝投手となった。
優勝の瞬間、左翼を守っていた豊田氏は胴上げの輪に加わるべく、マウンド方向に走り出した。「足が動かなくて、なかなか着かなかったんだよね、あの真ん中に入ろうとしても……。何とか間に合ったんですけどね」。ファンもグラウンドに乱入。近藤監督が帽子を取られるなど、もみくちゃになったが、それも忘れられないシーンになった。「ビールかけも初体験だったしね。その後、星野(仙一)さんの音頭で六本木に行った。ドラゴンズの荷物車の後ろに『若手はみんな乗れぇー!』って言われてね。20人くらい乗ったんじゃないかなぁ」。
1982年の中日優勝を振り返るたびに、必ず出てくるのが9月28日の巨人戦での大逆転劇だ。4点を追う9回裏の豊田氏の代打安打は、「江川キラー」ぶりを証明する一打として語り継がれている。まさにファンの記憶に残る活躍。「記録は何にも残していないけどね」と豊田氏は笑顔満開で話す。“代打ヒット賞”の1万円に喜んでいたのも懐かしい思い出。オープン戦での怪我の影響もあり、103試合で打率.136、0本塁打、3打点の苦しいシーズンだったが「江川キラー」としては、またもやインパクト満点だった。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)