中日に“捨てられた”…36年在籍し愛着も「紙くずみたい」 なかった前触れ、去った合宿所

元中日の豊田誠佑氏は引退後にコーチ、スカウト、寮長で尽力
悲しい別れがあった。元中日の豊田誠佑氏は2019年1月30日に名古屋市中川区に居酒屋「おちょうしもん」をオープンした。2014年シーズン限りで中日合宿所「昇竜館」館長を退任。選手、コーチ、スカウトも経験した36年間の“ドラゴンズ生活”を終えてから、4年ちょっとの月日を経ての再スタートだったが、そこにたどりつくまでにはいろんなことがあったし、その後にも……。外から見る“古巣”については「もうそろそろ……」とゲキを飛ばした。
名鉄名古屋駅から金山方面にひと駅の山王駅のホームからも見える位置に豊田氏が経営する「おちょうしもん」はある。線路を挟んで反対側にはかつての1軍本拠地で、現在は2軍本拠地のナゴヤ球場や中日合宿所「昇竜館」がある。山王駅は1976年1月1日から2005年1月28日までは「ナゴヤ球場前」の名称だった。1978年ドラフト外で明治大から入団し、2014年オフに昇竜館館長を退任するまで中日一筋の豊田氏は、そんな思い出いっぱいの場所の近くで店主として全力を尽くしている。
「でもね、館長を辞めて、荷物を出してからは一度も合宿所には行っていないんですよ」と豊田氏は話す。退任する時の悔しい思いがそうさせてしまったという。2014年シーズン終了後、突然、球団に呼ばれて「来年は契約しない」と通告された。寮生のために、必死になって働いてきたつもりだったのに、何の前触れもなく、いきなり言われてショックだった。球団フロントに対して「(中日で)36年やったのに紙くずみたいに捨てないでくださいよ。ちょっと冷たいじゃないですか」と思わず口にしたそうだ。
いろんなことが頭の中を駆け巡った。当時の落合博満GMにクビを切られたと疑った。明大の先輩で、仲人でもあった星野仙一氏の近い存在でいることが煙たがられたのか、とも考えた。「だけど、しょうがなかったしね……」。納得できなかったし、憤りもあったが、了承した。「ちょうど秋季キャンプ中で(寮生は)みんないなかったし、黙って(合宿所を)出た。それから一度もあそこには行っていないんです」。36年お世話になった中日に恩を感じているし、愛着もある。今も熱く応援しているが、せめてもの意地ということのようだ。
明大の大先輩で恩師…星野仙一氏との別れ
中日を退団し「おちょうしもん」経営を始めるまでには紆余曲折もあった。いろんな仕事も経験したという。「お寺でも働いたし、ゴルフ場や建築会社も……」。最愛の妻は病に倒れた。「ガンでした……」。高校時代から付き合いはじめ、大学の時もプロに入ってからも、コーチの時も、スカウトの時も、昇竜館館長の時も、ずーっと支えてくれた妻のために、やれることは何でもやると誓った。結果、たどりついたのが飲食業だった。
中学の頃、東京・練馬で父が経営する「寿司屋」を手伝い、当初はそこを継ぐために、板前修業の道に進むつもりだった。日大三で春のセンバツを経験し、明大では日米大学野球の日本代表に選出されるなど、野球で力をつけたことで方向転換したが「子どもの頃から自分はそういうのに向いているなとは思っていたし、違和感なく入れました」という。
そう決める前には悲しい知らせもあった。2018年1月4日に楽天球団副会長だった星野氏が膵臓癌のために亡くなった。大ショックだったし、信じられなかった。プロに入って初めて挨拶した時のこと、星野投手の勝利をアシストする本塁打を放って喜ばれた時のこと、媒酌人を頼みに行った時のこと、監督と選手の関係になってよく怒られたこと、西武との日本シリーズに負けて中央線で立川から東京まで一緒に帰った時のこと、コーチの時も……。多くの出来事を思い出しながら涙が止まらなかったという。
「その前の年(2017年)の3月に名古屋で(星野氏後援会の)仙友会が集まって、星野さんの野球殿堂入りをお祝いするパーティーがあって、僕も行ったけど、その時はべらべらしゃべっておられたんですけどね。でも『ウチの女房がガンで闘病しているんです』って話をしても、いつもなら何か言われるのに、何の反応もなかった。星野さんもガンって噂はあったので、もしかしたらって思ったけど、全然顔色とか、元気そうだったんでね……」
豊田氏が山王駅近くに知人女性とともに店を構えたのは、それから約1年後のことだった。「彼女も店をやりましょうって言ってくれてね。俺ひとりでは無理でしたよ。だって料理とか何もできないんだから」。屋号は「おちょうしもん」に決めた。「最初は『タコ坊主』にしようとしたんだけど、たまたまテレビで水戸黄門を見たら、おちょうしもんの八兵衛って出て『これだ』と言ってね。俺もおちょうしもんだから、ぴったりだなってよく言われますよ」。
名古屋市に居酒屋出店…又吉克樹のSNS効果で客殺到
店も順調だった。オープンして1か月が過ぎたあたりからお客さんが急激に増えたという。「(館長時代の寮生で当時中日投手の)又吉(克樹)が担当スカウトだった正岡(真二)さんと店に来てくれてSNSにも出してくれたんです。そしたらバーッと……。『又吉さんのSNSを見てきました』って……」。大忙しだったが、そんな中、また悲しいことが起きた。「女房がその年(2019年)の暮れに亡くなりました。神戸にいい先生がいて、そこに入院していたんですけどね。12時間の手術とかもしてくれたりしたけど、駄目でした……」。
2020年はコロナ禍で店を休むしかなくなり、大繁盛していたのが、また振り出しに戻った。大変な時期を経験したが、営業再開後は「まぁ、大体安定していますよ」と豊田氏は言う。おばんざいと、毎日、市場で仕入れた魚料理が看板メニュー。「僕はビールを出したり、お酒を作って出したりしています」と笑顔で語った。店には星野氏とのツーショット写真や、巨人・江川卓投手からの安打シーンの写真も飾ってある。野球好きのお客さんとは必ずといっていいくらい「江川キラー」の話になるそうだ。
もちろん、井上一樹監督率いる現在の中日のことも気になっている。「今年は評判がよかったし、評判だけになってほしくない。もうそろそろ優勝してもいいんじゃないか。ホント、そう思いますよ。まぁ、でもまずはクライマックスシリーズ(CS)かな。諦めずに頑張ってほしいです」と声のトーンを上げた。シーズンはまだまだ長い。井上中日の大逆襲をナゴヤ球場の近くで願っているのだ。
「江川キラー」で知られた豊田氏だが、実際のところは江川だけではなく一線級の投手を、数はともかく、まんべんなく打っている。広島のエースだった北別府学投手からは、それこそ何度も価値ある安打を放ったし、サヨナラ打、勝ち越し打、逆転打など成績以上にインパクトのある活躍が多かったのが特徴でもある。コーチとしても、スカウトとしても、昇竜館館長としても常にドラゴンズを盛り立ててきた。
そして星野氏をはじめ、多くの人に支えられての野球人生でもある。「中日であらゆることをさせてもらいましたし、僕はホント、幸せものですよ。お店にも多くの方に来ていただいて幸せだなと思っています」。ここ一番に強く、調子に乗ったらそれこそ物凄い力を発揮してきた“おちょうしもん”。巧打、好守の中日生え抜きの元外野手でドラゴンズ愛にあふれる豊田氏は感謝の心を持って、大事な店を守るべく、今もなお闘い続けている。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)