移動30時間…野球不毛の地に元巨人右腕が向かったワケ “パイオニア”としての新たな自覚

東野峻が持ち帰ったもの、20年後への誓い
巨人として史上初のアフリカ派遣。15年前には開幕投手を務めた右腕・東野峻さんが向かったのは、野球がほぼ存在しない2か国だった。官民連携でスポーツを通じた国際交流・協力を推進する事業として実現した今回の取り組み。野球のない国に足を運び、子どもたちや指導者に野球の技術と精神を伝えることで、スポーツを通じた国際交流と野球の世界普及を目指した。成田からマラウイまで30時間近く、往復すれば70時間の距離。それだけ遠い場所に、東野は自ら望んで飛んだ。現地で何が起き、何が伝わったのか。その3週間を追った。
成田を発って、30時間近く飛び続けた。
仁川、エチオピア、南アフリカ。4つの空港を乗り継いでようやくマラウイに降り立つ。187センチの大きな男はエコノミークラスの座席で、ひたすら窓の外を眺めていた。往復すれば70時間になる計算だ。それだけの距離を、東野峻は自ら望んで飛んできた。
巨人、オリックス、DeNAで活躍した投手。2010年に13勝を挙げ、翌2011年には巨人で開幕投手を務めた。現役引退後はジャイアンツアカデミーコーチとして野球普及に携わる。今回はアフリカへの野球普及という前例のない挑戦に踏み出した。
今回の派遣は、スポーツを通じた国際協力を推進する官民連携事業「スポーツ・フォー・トゥモロー(SFT)」と、アフリカへの野球・ソフトボール普及を推進する一般財団法人アフリカ野球・ソフトボール振興機構(J-ABS)との3者連携で実現した。訪問先はマラウイ共和国とボツワナ共和国。どちらも野球がほぼ存在しない国だ。巨人の野球振興としてアフリカの地を踏むのは、史上初のことだった。
J-ABSや球団を通じて、元プロ選手の派遣を希望されていた。球団のスケジュールや勤務の事情でなかなか決まらない中、東野に最終的に白羽の矢が立った。
「誰もやったことがないことに意味があるのではないかと思いまいた。それじゃあ第一人者になってみようかな、と」
損得の計算はない。前例のなさそのものに、価値を見た。
エチオピアの上空で、眼下に夜景が広がった。東京と見紛うほどの光量だった。アフリカのイメージが、そこで崩れた。自分が思っていたものとまるで違うかもしれない……。予感を胸に、マラウイの地に降り立った。

想定外の連続が東野を変えた
現地に着いても、想定外は続いた。
クーラーのない部屋で4時間待つことなんて日常的。気温は40度を超えていた。アポイントが直前にキャンセルされることも珍しくない。移動は車で10時間前後もよくある。日本のように交通機関も時間通りではない。生活に目を向ければ、洗濯機はない。毎日、手洗いが続いた。
「現地をよく知る人からは、これは『TIA』だからと言われて、何のことか最初はわからなかったです。TIA、TIAってみんな言うんです」
TIA――This is Africa。
アフリカではこれが普通、という意味の言葉だ。現地で教わったその言葉を、東野はすぐに自分のものにした。日本の常識を持ち込まない。まず自分が変わる。TIAという言葉が、この旅を支えた。
マラウイでの最初の2日間は、教員約40人への座学講習だった。野球のルールを教える前に、まず伝えたのは精神だった。礼に始まり礼に終わる。ここから始まった。
子どもたちを一列に並ばせ、礼の仕方を教える。紳士的なスポーツとしての野球を、指導者たちに先に理解してもらう。その上で3日目、子どもたち約200人を集めた野球教室へと進んだ。東野が最初に伝えたのは、技術ではなかった。
「ボールが落ちたら、みんなで取りに行ったらどうなる」
我先に飛びつけば、ぶつかって喧嘩になる。声を掛け合えば、誰が行くかが決まる。コミュニケーションがチームプレーを生む。話が終わる前に、子どもたちは頷いていた。投げ方の基礎を教え、手でボールを打つ新しい野球の形・Baseball5も紹介した。手で打つ感覚を覚えた子どもたちに「日本やアメリカではすごく流行っているんだ」と伝えると、すぐにスマートフォンで調べ始めた。ドジャースの大谷翔平の名前が画面に並んだ。覗き込む子が増え、輪になった。
「野球を調べるという行為自体が、昨日まではなかったことなんですよ」
東野の声が、わずかに上がった。帰り際、子どもたちが見送りに集まった。一人ひとりとハイタッチを交わし、別れを惜しんだ。3週間で最も鮮明に残っている場面だと東野は言う。グローブ、バット、ボール。巨人からマラウイ野球ソフトボール連盟に使用済み練習球が贈呈された。道具は残った。指導法も残った。何より、野球というスポーツの存在が、子どもたちの記憶に刻まれた。
今では座学を受けた教員が子どもたちに野球の楽しさと技術を伝えているという。身体能力も高いため、続けていけば、大きな期待はできる。スマートフォンで大谷を検索した子どもたちは、これから先も野球を検索し続けるかもしれない。いつか大きく育つかどうかは誰にもわからないが、もしかしたら、日本や米国の野球の舞台につながっているかもしれない。
「教えたより、教わったことの方が多かったですね」
往復70時間かけて飛んだ距離は、帰りも変わらない。ただ東野の内側だけが、行きとは違っていた。誰も踏んでいない場所に、確かに足跡をつけてきた。それが、何よりも大きかった。
(楢崎豊 / Yutaka Narasaki)