岡康二朗さんが選んだマネジャーという道、後押しした家族の存在
選手を“諦めた”日から、彼の野球は終わらなかった。父と5つ上の兄がともに工学院大付野球部のOB。野球一家に育った岡康二朗さんが選んだのは、男子マネジャーという道だった。データ分析、グラウンドでのプレーイングマネジャー、そして試合運営――。仕事ぶりは、選手とも女子マネジャーとも違う、唯一無二の存在感を放っている。
野球を始めたのは5、6歳の頃だった。小学校では捕手、中学ではクラブチームで二塁手を任され、二遊間のダブルプレーのかっこよさに憧れた。高校でもその姿を夢見ていた。
しかし、中学3年生の12月、受験の大切な時期に悲劇が襲う。左腕を骨折する大きな怪我を負ってしまったのだ。野球を続けたい気持ちは当然あった。それでも自身の状態と実力を冷静に見つめ、岡さんはマネジャーとして野球に関わる決断を下した。背中を押したのは5つ上の兄からの「野球に関わりたいなら、マネジャーという道もある」との言葉だった。
工学院大付野球部で目にした最新設備
「選手としてではないけれど、野球と関わりながら高校生活を送る道はどれかと考えたとき、男子マネジャーという選択をしました」。
工学院大付野球部に入部した岡さんを迎えたのは、最新設備の数々だった。球速や回転数を計測するラプソード、スイングスピード測定機器、動画分析システムXPS――。これらに触れるうちに、彼はアナリストとしての顔を持つようになる。
具体的な仕事は多岐にわたる。XPSで試合動画を編集・タグ付けし、選手が特定の打席を試合後すぐに振り返れるデータベースを運用。外部指導者による技術指導をLINEで共有し、選手がいつでも見返せる環境を整える橋渡し役も担う。スイングスピードに応じた最適打球角度は「120~130キロのスイングなら角度は20~30度がベスト」といった具体的な数値も選手に提案する。
冬場には除脂肪体重指数FFMIを定期測定し、数値順・前回比で整理した資料を指導者へ提出する。「数字は一番信頼性がある。この練習をしたら数値がこれだけ上がったと、指導者に提案できるくらい数字を使ってチームに貢献したい」。表の見づらさを感じれば自ら改良を重ねる。試行錯誤は今も続いている。
掲げるモットー「練習を止めさせてはいけない」
岡さんはデータ分析にとどまらず、自らをプレーイングマネジャーと称してグラウンドにも立つ。ノックを打ち、バッティングピッチャーも務める。選手経験があり、男子である自分だからこそできることだと言う。行動指針は「練習を止めさせてはいけない」という強い思いだ。「準備のために練習が止まる時間がもったいない。先読みしてマシンの準備をしたり、外野の球拾いを自分たちがカバーする。その分、選手には練習量をしっかり確保してほしい」。工学院大付の練習量は強豪校にも引けを取らないという自負がある。「質を上げられる存在に自分はなりたい」。
昨秋からは工学院大付が都大会の会場校となり、試合運営にも奔走する。本部準備から公式記録のスコア付け、試合後の集計作業まで。17-9の大乱打戦では集計だけで約2時間を要したこともあった。
夏の大会でコーチャーズボックスに立ちたい
入部からの1年でこれだけの経験を積んだ岡さんには、3年生になってからの大きな目標がある。最後の夏の大会で背番号を背負い、コーチャーズボックスに立つことだ。「かつての男子マネジャーの先輩が20番をつけてグラウンドに立った姿に憧れます。でもそのためにはもっと信頼を得なければいけない。もっと情報を仕入れて相手のことを調べて、チームの力になりたい」。
大学進学後も野球に関わり続けたいという。できればさらに設備が充実した環境でアナリストとして力を発揮したい、と将来も見据える。取材中、岡さんの目は輝いていた。野球の話になると口が止まらない。苦労や決断の話をするときでさえ明るく話せるそのキャラクターは、チーム内でも愛される存在のはずだ。唯一無二のマネジャーとして、という言葉はリードの伏線ではなかった。最後に彼はこう語った。「(父と兄の)2人がかなえられなかった工学院大付を甲子園に、唯一無二のマネジャー岡康二朗としてチームメートとともに挑みたい」。野球は、まだ終わっていない。
【筆者プロフィール】 豊嶋 彬(とよしまあきら)1983年7月16日生まれ。フリーアナウンサー、スポーツMC。2016年から高校野球の取材活動を始め、JCOMの「夏の高校野球東西東京大会ダイジェスト」のMCを務めている。高校野球への深い造詣と柔らかな語り口を踏まえた取材・実況が評価されている。スポーツMCとしての活動のほか、テレビ番組MCなど幅広く活動中。
(豊嶋彬 / Akira Toyoshima)