“異例の注目”集めた甲子園決勝 視聴率は約50%…初Vにナインは涙も、左腕によぎった別の感情

元広島・西田真二氏【写真:山口真司】
元広島・西田真二氏【写真:山口真司】

準決勝・中京戦は9回裏で0-4も…西田氏の三塁打からミラクル

 1978年の夏の甲子園「第60回全国高等学校野球選手権大会」はPL学園(大阪)が初優勝を飾った。準決勝・中京(愛知)戦、決勝・高知商(高知)戦は2試合続けて最後にミラクル劇を起こしての勝利で「逆転のPL」と呼ばれた。そのPLでエース兼4番打者だった元広島外野手の西田真二氏(野球評論家、香川オリーブガイナーズアドバイザー)が、伝説の2試合での当時の心境などを回顧した。

 大会第13日の8月19日の準決勝・中京戦から「逆転のPL」は始まった。「中京は優勝候補でしたからね。1番を打った山中(茂直内野手)は法大で僕と同級生。(3番打者の)栗岡(英智外野手)は(1978年ドラフト2位で)中日。(エースで5番打者の)武藤(哲裕投手)は明大に行くんだけど、みんなよう打つなぁと思いましたよ。芯で捉えられているなって感覚がありましたからね」と西田氏にとっては苦しいマウンドになった。

 4回に武藤のスクイズで先制され、6回にも追加点を与えた。8回には栗岡の三塁打から3点目を失い、9回にも山中の適時打で駄目押しの4点目を奪われた。PL打線も武藤を攻略できずに0-4で9回裏を迎えた。まさに崖っ縁に追い込まれたが、ここから大逆襲で4-4の同点に追いついた。反撃の口火を切ったのは西田氏だ。一塁線を破る三塁打。「ちょっと怪しい三塁打。あれ、サードでアウトだったってよく言われるんですよ。でも審判が『セーフ』と言えばセーフなのでね」。

 これをきっかけにPL打線は畳みかけて同点にしたが、西田氏は「やっぱり甲子園の大声援ですよ。多くの人がPLを応援してくれましたからね」と言う。延長12回は押し出し四球でのサヨナラ勝ち。「あの応援もあって相手はよりプレッシャーがかかってくる。投手交代なども何か裏目、裏目だったしね。だから高校野球って何が起きるかわからないって部分。技術もそうだけど、最終的にはメンタルの部分が占めているんじゃないですかねぇ」。当時の球場のムードもPLには大きなプラスになったようだ。

清原&桑田も見たPL学園の初優勝…「テレビの視聴率も50%近かった」

 翌8月20日の決勝・高知商戦も0-2の9回にドラマを起こした。8回まで森浩二投手(元阪急・オリックス、ヤクルト)の前に3安打に封じ込まれていたPL打線は安打、四球、犠打で1死二、三塁として3番・木戸克彦捕手の中犠飛で1点を返し、4番・西田氏の一塁線を破る適時二塁打で同点。5番・柳川明弘外野手の左中間へのサヨナラ打で優勝の栄冠を大逆転でつかんだ。凡退すれば負けの土壇場で同点打を放った西田氏の打棒はこの日も光った。

 1ボール、2ストライクから内角球を捉えた。「その前に高めのクソボールを振ってしまったんだけど、打った時は森の投げるところからカーブ系の球に見えたんですよ。それをうまいこと打てた。真芯だった。体も、精神的にもゾーンに入っていたんでね。でも、もしも、また高めの真っ直ぐが来ていたらどうなっていたかわからなかったと思いますよ。まぁ、その後の柳川もよく打ったよね」。まさしく紙一重のところでの勝負だった。

「勝って校歌を歌っている時に横で木戸が大泣きしていた。やっぱりキャプテンで苦労したんでしょうね。僕は意外と冷静でしたよ。(甲子園では初戦からすべて完投して)あれだけ投げて初優勝して自己満足というか……。もちろんうれしかったけど、バカ喜びもしなかった。ああ、優勝したなって感じで泣かなかった。インタビューでウチの両親が泣いていた記憶はありますけどね。あの試合、テレビの視聴率も50%近かったと聞いた。気分はよかったですけどね」

 伝説の2試合を思い起こしながら、西田氏は「なんだかんだいってPLの初優勝。(後輩の)清原(和博)も桑田(真澄)も、みんな“あの試合を見た”って言いますもんね。PLの会員さんも喜んでくれたし、当時、会員さんはMAXじゃないかな。僕らは最高の宣伝広告媒体になった」と笑みをこぼした。「残念ながら現在の母校はああいう(厳しい)感じになったけどね」と寂しそうにも話したが、あの時の甲子園のマウンドも打席も“最高の思い出”となっている。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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